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カトリック入門

第227回 教会の文書に見られる十戒【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

序)聖書に忠実でイエスの模範を遵守する教会の聖伝は、十戒の基本的な重要性や意義を認識していました。

1 教父たち
*聖アウグスチヌス以来、「十の掟」は、洗礼志願者や信者のカテケジスの中で大きな役割を果たしてきました。15世紀には、十戒の掟を暗記しやすい韻を踏んだ肯定形の文で表す習慣が始まりました。そのようなものは現在でもつかわれています。教会のカテキズムではしばしば、キリスト教倫理の教義を「十の掟」の順序にしたがって説明してきました。
*十戒の区分と教え方は、歴史の流れに伴って変化してきました。ここでは聖アウグスチヌスが定め、カトリック教会の伝統となった区分を採用しています。これは、ルーテル教会で用いられている区分でもあります。ギリシア教父たちは多少異なる区分を行いましたが、この区分は現在、東方教会や改革派教会で用いられています。
*十の掟は、神と隣人への愛が要求することを表現しています。最初の三つは神への愛に、次の七つは隣人への愛に関するものです。
*トリエント公会議は、キリスト者には十戒を守る義務があり、義化された者もまたこれを守るべきだと教えています。第二バチカン公会議は、「司教は使徒の後継者として、すべての人が信仰と洗礼と掟の遵守を通して救いに達するように、……主から、あらゆる国民に教え、全被造物に福音を宣教する使命を受けた」と宣言しています。

2 十戒は一体のもの
*十戒は、分離できない総体を成しています。各「ことば」はそれぞれ互いに、また全体に関連し合い、互いに前提となっています。二つの石板は相互に照らし合い、有機的に一つのものとなっています。一つのおきてに背けば、他のすべての掟に背くことになります。創造主である神をたたえることなしに、他人を尊重することはできません。被造物であるすべての人を愛することなしに、神をあがめることはできないはずです。十戒は、人間の神との生活と社会的生活とを一つに結び合わせてくれます。

3 十戒と自然法
*十戒は神が啓示されたものです。それはまた、私たちに真の人間らしさを教えるものです。人間の本質的な義務を、したがって、間接的には人間の本性に由来する基本的権利を明らかにしてくれます。十戒には、「自然法」を優れた表現を用いて占めるものが含まれています。
*十戒の掟は、理性の力だけで把握されうるにもかかわらず、啓示されました。自然法が要求することがらを完全・確実に知るためには、罪障ある人類はこの啓示を必要としていたのです。

4 十戒の義務
*十の掟は神と隣人とに対する人間の基本的義務を示すものなので、第一義的にはその中に含まれている重大な義務を明らかにするものなのです。それは根本的に不変なものであり、時と所とを問わず常に義務を負わせるものです。だれもこれを免除することはできません。十の掟は、神によって人間の心に刻みこまれたものなのです。
*十戒で示されている事柄の中には、それ自体としては軽い義務しか課さないものも含まれています。例えば、第五戒では侮辱的なことばが禁じられていますが、これに背くことは普通小罪にすぎず、それが重大な罪になるのは、そのときの状況やそれを口にする人の意向などが特殊な場合だけなのです。

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