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カトリック入門

第231回 第一の掟「神への不敬」【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

序)神の第一の掟に反する主な罪は、神への不敬に関するものです。それは、ことばや行為によって神を試みること、瀆聖、および聖物売買です。

1 神を試みる
*神を試みる行為とは、ことばあるいは行いによって神がいつくしみ深く全能な方であるかどうかを試すことです。例えば、サタンはイエスを神殿から飛び降りさせて、神に助けさせようとしました。イエスは、「あなたたちの神、主を試してはならない」(申命記6・16)という神のことばを用いて、サタンに対抗されます。このような試みにはかみへの挑戦が込められていますが、それは、創造主である主に対して私たちが払うべき崇敬と信頼とに背くものです。そこには常に、神の愛と、その摂理、およびその権能に対する疑惑が込められているのです。

2 瀆聖
*瀆聖とは、秘跡やその他の典礼、神に奉献された人・物・場所などを汚したり、不当に取り扱ったりすることです。聖体に対してなされる瀆聖は特別な大罪となります。この秘跡には、ほかならぬキリストの御からだが私たちのために実体的に現存しているからです。

3 聖物売買
*聖物売買とは、霊的なものを売買することです。魔術師シモンは使徒たちのわざに見られる霊的力を買おうとしました。ペトロはそのとき、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ」(使徒8・20)と答えます。ペトロは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタ10・8)というイエスのことばに従ったのです。霊的善を占有し、その所有者または主人として振る舞うことはできません。霊的善の源泉は神だからです。神から無償でいただくことができるだけなのです。
*「奉仕者は、権限ある権威者によって定められた奉納金のほかには、秘跡の授与のために何も請求してはならない。かつ、貧しい人たちが、貧しさのために秘跡の助けを奪われることのないように常に注意しなければならない」と教会法は述べています。権限ある教会権威者が「奉納金」を定めるのは、キリストを信じる民は教会の奉仕者の生活を助けなければならない、という原則によるものです。それは、「働く者が食べ物を受けるのは当然である」(マタイ10・10)というイエスのことばに従うものでもあります。

4 無神論
*「現代人の多くは神とのこのような生命的な深い結びつきをまったく理解しないか、あるいは明らかに排除します。したがって無神論は現代のもっとも重大な課題の一つに数えるべきものです」。
*無神論はきわめて多様な形をとります。通常みられるのは実践唯物論的な形態で、現世的な事柄だけを追求するものです。無神論的ヒューマニズムは、人間は「自己目的で、歴史の唯一の製作者、創作者」のようなものであるという誤った考えを持っています。現在視られるもう一種の無神論は、人間の解放を経済的・社会的開放に期待し、「宗教は死後の偽りの生命への希望を抱かせることによって、人間を地上の国の建設から脇道にそらせるものなので、本質的に人間解放を妨げるものである」と考えています。

5 不可知論
*不可知論にはさまざまな形があります。ある不可知論者は、神を脾摘しないばかりか、自己を啓示することもだれかがその説明をすることもできないような超越者の存在を認めています。また別の不可知論者は、神の存在についての判断をくださず、その存在は証明できないとして、肯定も否定もしません。
*不可知論には時としてある種の神についての探求が含まれることがありますが、それは同時に、無関心、存在の究極問題についての回避、道徳的意識の怠慢などを示すものでもあります。不可知論は多くの場合、実践的な無神論に相当します。

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