序)詩編のことばに次のように記されています。
「今日こそ主のみわざの日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう」(詩編118・24)
1 主日の感謝の祭儀
*日曜日を祝い、主の感謝の祭儀を行うことが、教会生活の中心です。「過越の神秘が祝われる主日は、使徒伝承に基づいて、全教会で守るべき祝日としてこれを遵守しなければなりません」。
主の降誕、主の公現、主の昇天およびキリストの聖体、神の母聖マリア、無原罪の聖マリア、聖母の被昇天、聖ヨセフ、使徒聖ペトロと聖パウロ、諸聖人の祭日を守らなければなりません。
*このようなキリスト教的集会の習慣は、使徒時代にさかのぼるものです。ヘブライ人への手紙では、「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう」(ヘブ10・25)と戒めています。
*伝承によって、今日にも通用するつぎのような勧告が伝えられています。「早めに教会に来て主に近づき、罪を告白し、祈りつつ償いを果たしなさい…。神聖な典礼にあずかり、祈りを終え、退出の合図があるまでは決して出て行ってはなりません。…これまでもたびたび話したように、この日が皆さんに与えられたのは祈りと休息のためなのです。今日は主が造られた日ですから、喜び、踊りましょう。」
2 主日を守る義務
*教会の掟というものがありますが、それは神の掟に具体的な形を与えるものです。例えば「主日およびその他の守るべき祝日には、信者はミサにあずかる義務を有する」、あるいは「祝日当日または前日の夕刻、いずこにおいてもカトリックの儀式によってささげられるミサにあずかる者は、ミサにあずかるべき掟を果たすことになる」などという具体的な形で表現されています。
*主日の感謝の祭儀は、すべてのキリスト教的行動の土台となり、それに力を与えるものです。したがって信者は、守るべき祭日には感謝の祭儀にあずかる義務があります。ただし、重大な理由(たとえば、病気や乳児の世話など)があってあずかれなかったり、自分の主任司祭から免除を受けたような場合はこの限りではありません。
*主日にささげられる共同体の感謝の祭儀にあぶかることは、キリストとその教会への所属ならびに忠実をあかしすることです。信者はこれによって信仰と愛とにおける互いの交わりを証明し、神の聖性と救いの希望とをともにあかしし、聖霊の導きのもとに互いに励まし合うのです。
3 恵みの日、仕事を休む日
*神が「第七の日に、ご自分の仕事を離れ、安息なさった」(創世記2・2)ように、人間生活は仕事と休息とが交互した形で営まれます。主日の制度は、すべての人が家族・文化・社会・宗教生活などを培うための十分な休息や余暇の時間を享受できるための貢献をしています。
*信者は、主日な守るべき祭日には、神にささげる礼拝や、主日固有の喜び、慈善の業、心身のふさわしいくつろぎなどを妨げるような仕事や活動に従事することは控えるべきです。家族の必要事や社会的利益に大いに貢献する活動などをするような場合は、主日の休息の掟を守らなくてもよいことになっています。信者はこのような正当な理由を盾にして、宗教、家庭、健康などを害する習慣を作り出すことのないよう留意すべきです。
*余暇を楽しむキリスト者は、自分と同じようにその必要や権利を持っているにもかかわらず貧しさと逆境にあって余暇を取ることができないでいる兄弟たちのことを心に留めるべきです。主日に信者は、伝統的に、キリスト教の信心に基づいて、慈善事業を行い、病人・身体障がい者・高齢者たちにつつましく奉仕します。キリスト者はまた、週日にはなかなか割くことにできない時間を家族や隣人のために取ったり、そのお世話をしたりすることによっても、主日を聖なるものにすることができます。主日は内省・沈黙・教養・黙想などの時であり、それによって内的生活やキリスト教的生活の成長が助けられるのです。

