1 恵みとは
*私たちの義化は神の恵みによるものです。恵みとは、私たちが神の子、神の養子、神の本性にあるかる者、永遠のいのちを受ける者になるようにとの招きにこたえるよう、神が私たちにお与えになる寵愛、無償の援助です。
*恵みは神のいのちにあずからせるものであり、私たちを三位一体の親密な交わりのうちに入らせてくれるものです。キリスト者は洗礼によって、神秘体の頭であるキリストの恵みにあずかります。以後、キリスト者は、神の「養子」とされた者としてひとり子と結ばれ、神を「父」と呼ぶことができます。霊のいのちを受け、霊はそのいのちに愛を吹き込み、教会を形づくるのです。
*永遠のいのちへの召命は超自然的なものであり、まったく神の側からの無償の恵みによるものです。神だけがご自分を啓示し、ご自分を与えることがおできになるからです。この召命は、人間の知性や意志の力、否、すべての被造物のそれを超えたものなのです。
*キリストの恵みは神が私たちにお与えになる無償の賜物であり、私たちの霊魂を罪からいやし、これを聖化するため、聖霊によって注がれた神のいのちにほかなりません。それは洗礼の際にいただいた成聖の恩恵ないし神化の恩恵であり、その恩恵が私たちのうちにあって聖化の働きの泉となるのです。
*成聖の恩恵とは、常住的な賜物であり、人が神とともに生き、神への愛のために行動できるようにするために人の霊魂自体を完成させる、持続的で超自然的な性質のことです。この恩恵は、神の招きに従って生き、行動するための恒常的な性質である常住の恩恵と、回心の初めや聖化の働きの過程で神が介入される助力の恩恵とに区別することができます。
*恵みを受け入れることができるように人間を準備させることは、すでに恵みの働きです。恵みは、信仰による義化や愛による聖化へと私たちの協力をかきたて維持させるために必要なものです。神は始められたことを、私たちのうちに完成なさいます。「神は、私たちが望むようにと仕向けながら始められたことを、私たちの望みに合わせながら完成されるのです」。
*神からの自由な働きかけに対しては、人間の自由な応答が求められます。神は人間をご自分にかたどって造り、自由意志と、ご自分を知り、ご自分を愛する能力とをお与えになったからです。霊魂は自由な仕方でなければ愛の交わりに入ることができません。神は人間の心に直接に触れ、それを動かされます。神は人間のうちに、ご自分だけが満たすことのできる真理と善への願望を植え付けられました。「永遠のいのち」の約束は、あらゆる望みを超えて、この願望にこたえるのです。
2 恵みは聖霊の賜物
*恵みは何よりもまず、私たちを義化し聖化してくださる聖霊の賜物です。しかし、恵みにはまた、霊がお与えになる他の賜物も含まれています。それらの賜物は、私たちが霊の働きに参与して、他の人々の救いや教会というキリストのからだの成長に協力することができる者となるためにあたえられるのです。それぞれの秘跡に固有の賜物である秘跡的恩恵がそうであり、また、カリスマとも呼ばれる特別な恵みもこれに当たります。カリスマとは聖パウロが用いたギリシア語ですが、特別な好意、無償の賜物、寵愛などを意味します。カリスマは、時には奇跡を行い、異語を語るような非凡な形で現れることがありますが、それがどのようなものであろうと、カリスマはすべての成聖の恩恵のためにあるものであり、教会の共通善を目指し、教会を築いていく愛を助けるものです。
*特別な恵みとしては、身分上の恵み、つまり、キリスト教的生活の責務や教会内の役務遂行に伴う恵みを挙げることができます。
*恵みは超自然的なものなので、私たちの経験的知識では把握できず、信仰によってしか知ることができません。したがって、自分の感じや働きなどを根拠に、自分は義化されている、あるいは救われているなどと判断することはできないのです。しかし、「あなた方はその実で彼らを見分ける」と言われたキリストのことばに基づいて、私たちの生活や聖人たちの生活に見られる神の賜物のことを考えれば、恵みが私たちのうちに働いて信仰をますます深めさせ、信頼に満ちた謙虚な態度に導いてくれているという確信を得ることができます。
カトリック入門