(序)
*ラテン語のJustificatioという用語について、カトリック教会では長い伝統に基づいて「義化」という訳語を採用した。ルーテル教会とローマ・カトリック教会との間で合意・承認された「義認の教理についての共同宣言」(1999年10月31日調印)の内容に基づいて、「義認」とも読み替えることも可能です。
1 義化とは
*「義化」に近い言葉は、ギリシア語では「ディカイオス」が使われ、「義」とも訳されています。正しさ、誠実さ、素直さなどの意味があり、新約聖書の人物では、聖ヨセフに当てはめて考えると理解しやすいでしょう。
*聖霊の恵みは、私たちを義とする力、すなわち、私たちを罪から洗い清め、イエス・キリストを信じることを通して、また洗礼を通して神の義を与える力を持っています。
*私たちは聖霊の力によってキリストの受難にあずかり、罪に対して死んだ者となり、新しいいのちに生まれて、キリストの復活にあずかります。私たちは教会というキリストの体の肢体、キリストというぶどうの木に結ばれた枝なのです。
*聖霊の恵みの第一の働きは回心であり、これによって義化が行われます。イエスが宣教を開始するにあたって、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4・17)と告げておられるとおりです。人間は恵みの働きに動かされて、神に向きを変え、罪から離れて、ゆるしと義とを神からいただきます。「義化とは、単に罪がゆるされるだけではなく、内的人間の聖歌と一新です」。
*義化とは、神の愛に背く罪から人間を引き離し、その心を清めることです。それは、ご自分のほうから進んでゆるしをお与えになる神の憐れみの結果です。それは人間を神と和解させることであり、罪の奴隷から解放し、癒やすことです。
*義化とは、イエス・キリストへの信仰によって神の義を受け入れることでもあります。ここでいう義とは、神の愛の正しさのことです。義化とともに、信仰、希望、愛が心に注がれ、私たちは神のみ旨に従うようになります。
*義化とは、キリストの受難を通して私たちに与えられる功徳です。キリストは十字架上で神のみ心にかなう生きた聖なる供え物としてご自分をおささげになり、その血がすべての人の罪を償う供え物となったのです。義化の恵みは信仰の秘跡である洗礼を通して与えられますが、その恵みによって私たちは神の義にかなう者に変えていただきます。神がその憐れみの力によって、内面から私たちを正しい者となさるのです。それは、神とキリストの栄光、および永遠のいのちの賜物をお与えくださるためです。
2 義化によって
*義化は、神の恵みと人間の自由との間の協力関係を確立させます。それは、人間の側からは、回心を促す神のことばへの信仰による同意と、その同意に先立って人間を守ってくださっている聖霊の勧めに対する愛による協力とによって表されます。
*義化は、イエス・キリストにおいて表され、聖霊によって与えられる、「神の愛の最も卓越した業」です。聖アウグスチヌスは、悪人が義とされるということは「天地の創造よりも偉大な」業だと考えています。「天地は過ぎ去っても、選ばれた人々の救いと義化は永続するから」です。聖アウグスチヌスはさらに、罪人の義化は、義の状態で造られた天使の創造にまさるとさえ考えています。神の深い憐れみを示すものだからです。
*聖霊は内なる教師です。「内なる人」をうまれさせる義化は、その人間全体を聖化させるのです。
かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷としてささげて、聖なる生活を送りなさい。今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠のいのちです。」(ローマ6・19,22)