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みことばの響き

目を覚ます 待降節第1主日(マタ24・37~44)

 今日から待降節に入ります。文字通り、「主の降誕」を待ち、準備する期間であるとともに、主の来臨を待つ時です。「目を覚ましていなさい」「あなたがたも用意していなさい」は、これらのことをよく示唆しています。

 司祭になって二年目だったと思います。福岡で中学生志願者の係をしていた春休みのこと。志願者たちはそれぞれの郷里で休暇を過ごし、春休み中がたまたま聖週間と重なりました。修道院ではもう一人の神父が聖週間の典礼を司式することになり、私はフリーな立場。それではということで、聖週間を自分の郷里の西木場教会でのんびりと過ごすことにしました。聖木曜日のこと。ミサが始まり、福音の朗読。朗読奉仕を終え、自分の席に着こうとすると、主任司祭がツカツカと歩み寄り、「おい、何か話してくれよ」と。「エッ」と戸惑うと共に、みんなが興味津々見ている手前、引き下がる訳にもいかない。「聖体」について話をし、何とかしのぎました。

 また松岡英治君という神学生がいました。私より二つ下の後輩で、シャキシャキした性格。ある日曜日のこと、彼は初めて自転車に乗って八王子市内の店へ買い物に行ったものの、修道院下の橋のところで自転車ごと3メートル下の川に転落。幸い指先を怪我しただけで済んだのですが、その翌日、指先の治療のため、50ccのバイクに乗って病院へ行きました。午後1時半ごろ、「気をつけて行ってこいよ」と言ったら「分かった」と。治療を終え、病院からの帰りだったのでしょうか、ある橋の所で大型トラックに巻き込まれ、救急車で病院に運ばれました。午後4時ごろ、病院から電話がかかり、瀕死の重傷とのこと。やがて八王子の病院から立川市内の大きな病院へ移送。輸血が必要だということで、同じ血液型の私も病院へ。輸血が終わり、松岡君の顔を見たら、目の周りが黒ずんでいました。危険な状態だなあと思いつつ、翌朝、20歳の生涯を終えました。あれほど元気だったのに、翌日には帰らぬ人となる。人の死はあっという間だなあと思うとともに、よい準備が頭をよぎりました。

 「目を覚ましていなさい」「用意していなさい」。これらの言葉は、私たちが常日頃、心がけていなければならないメッセージとして響いてきます。

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