書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

キリスト教知恵袋

十字架像の変遷について

 十字架刑はローマ帝国の処刑法の一つだったと言われています。主はその上で人類の罪の赦しを願いつつ、ご自分の命を父に捧げられました。主の十字架は受難と死そのものであり、信者にとっては贖いと犠牲のしるしでした。

 パウロにとって十字架は神の力・知恵でした(1コリント1・18〜25)。しかし十字架像の発展を見ると、最初から十字架がキリスト教という宗教そのものを表わすシンボルではなかったことが分かります。

 四世紀、迫害が解け、教会に平和が訪れると、典礼の目覚しい発展のときを迎えます。それ以前は、むしろ十字架のしるしを公にすることは危険だったのですが、このころから勝利と救いのしるしとして、典礼や教会芸術面において、全く自由に表現することができるようになったのです。本来、キリストの受難と死、贖いのしるしであった十字架は、まさに神の力、救いの勝利、復活の栄光であり、信じる者にとっての希望、喜びのシンボルとなったのです。従ってこれを表現する十字架像が一般的なもので、非常に表徴化された十字架が好んで使われています(装飾的十字架と呼ばれる)。この傾向は今日に至るまで、ビザンチン典礼を中心に東方教会の特徴です。

七〜八世紀ごろになると徐々に変化が現れ、受難のキリスト像が描かれるようになります。この傾向はローマを中心とした西方教会に見られ、中世になってよりリアルな受難、そして死のキリスト像へと発展し、本来の復活の勝利、神の力を映す十字架像は影が薄くなりました。そこに中世教会の信仰観の影響が強く表れています。

しかし、ヴァチカン公会議以降の典礼刷新と平行して古代の十字架像が再び脚光を浴び、復活像・祭司像・王であるキリスト像などが使われるようになりましたが、受難と死のキリスト像がなくなった訳ではありません。歴史的に十字架の形はさまざまに描かれますが、代表的なものはラテン式十字(両腕を横に広げて立つ人型、受難の表徴)・ギリシャ式十字(縦と横がその中心で交差する正方形、栄光・勝利の表徴)・コプト(エジプト)式十字(アルファベットのT字形、受難の表徴)などがあります。以下の資料を参考にしてください。

  • 中森義宗『キリスト教シンボル図典』東信堂1993 143〜145頁
  • 鶴岡真弓『ケルト/装飾的思考』築摩書房1989 179〜233頁

回答者=南雲正晴神父(フランシスコ会)

RELATED

PAGE TOP