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カトリック入門

「カトリック入門」 第16回 罪【動画で学ぶ】

(序)
 録音日の今日は2020年12月15日。この日の福音の箇所は、マタイ21・28~32だった。マタイ21・31の中に「徴税人や娼婦が、あなた方より先に神の国に入る」と。

1 罪とは
 ギリシア語には、「ハマルティア」と「アディキア」がある。
 「ハマルティア」は、「まとはずれ」「失敗すること」「ふみはずすこと」の意。
 「アディキア」は「不義」「悪」の意味。
 要理書に、「罪とは悪いことと知りながら、自由意志をもって神に背くこと。
 行いだけでなく、思い、望み、ことば、怠りも罪になります。」ミサの初めに「わたしは思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました」と祈る。

2 大罪と小罪
 大罪とは重大なことがらについて、はっきり意識し、完全に承諾して神に背き、神の愛から離れること。大罪は、神に対する忘恩と侮辱であり、成聖の恩恵を失わせ、永遠の滅びを招くものです。
 小罪とは、小さなことがらについて、あるいは重大なことがらであってもはっきり意識せず、あるいは完全に承諾しないで神に背くことです。
 小罪は成聖の恩恵を失わせませんが、神の愛を傷つけ、煉獄の苦しみを招きます。また小罪を重ねることによって、大罪に陥る危険も大きくなります。

3 罪がもたらすもの
 人間にとって最初の罪は、服従の拒否であり、もっと深く考えれば、神を信じ、神に自分を委ねることへの拒否である。
 別の言い方をすれば、罪は人間の神への背反であり、神の似姿として創造された人間本来の逆の姿である。
 人間とは本質的に「神より神へ」という存在であり、他の人々とともにいて、彼らのために生きるべき存在である。そこで、人間に特有な悪とは、人がこうした人間の本質を、考えと行動とによって否定することに他ならない。これこそ「罪」と呼ばれる。簡単に言えば、罪とは「愛の欠如」である。人間は、他の人々とともに、他の人々のために献身的に生きる時こそ、人間本性にふさわしい生活をし、真の人間となる。
 自分にしてほしいと思っていることを自らすすんで他の人々に対して行うこと、すなわち、他の人々の存在と幸福と喜びとを望み、窮乏に同情し、心を理解することは、愛の生き方である。反対に、絶えず自分自身とその利益、名誉などのことだけを考え、他の人々の独自性を認めず、彼らをただ自分の自己主張の手段とみなし、彼らがかけがえのない存在であることを考えもせず、彼らの生命権を認めようとしない態度は、愛のない生き方、つまり罪と呼ぶ。
 罪は愛の正反対である。神自身という神の私たちへの働きを拒否すれば、罪である。被造物が自己の身分をわきまえず、また、彼を造り、かれを命へ招いた神の愛の権威を認めないようとしないことは、傲慢であり、それはすべての罪の根源である。

4 イエスと罪人
 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2・18)
 徴税人のマタイを弟子に選んでいく。
 ファリサイ派の人と徴税人(ルカ18・9~14)
 徴税人は「神よ、罪人であるわたしを憐れんでください」。義とされて家に帰ったのは、徴税人であった。
 罪人の立ち返り(ルカ15・11~32)放蕩息子の話
 父親は最初からゆるす気持ちを持っていた。
 でも息子の罪は、「立ち返り」という行為によってはじめて許される。

5 まとめ
 罪とは、自由意志をもって神に背き、愛の欠如、愛の正反対。
 罪人を包むイエスの愛

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