パウロが活動していた時、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書はまだ書かれていませんでした。これらの福音書が書かれたのは、パウロの死後です。パウロが福音書を書いていれば、「パウロ福音書」は、世界で最初の福音書になっていたでしょう。またパウロが福音書を書いていれば、それは彼の宣教活動にも役立ったに違いありません。
パウロが福音書を書かなかったのは、彼に福音書を書く力がなかったからではありません。確かにパウロは生前のイエス様のことを何も知りませんでしたが、それはルカも同じです。イエス様との出会いの体験を持つ人々から情報を集め、資料を整理し、生前のイエス様のみ教えやみ業を書き記すことは、パウロにできないことではありませんでした。しかし彼は福音書を書きませんでした。
パウロが福音書を書かなかった理由は、いくつか考えられます。第一の理由はパウロの使命理解の厳密さです。パウロは自分の使命を、異邦人に福音を告げることであると理解していました。パウロの使命理解の中には、洗礼を授けることさえ含まれてはいませんでした。「私の使命は福音を告げることであって、洗礼を授けることではない!」と言い切っているパウロです。ですから福音書を書くことが福音宣教に役立つとわかっていても、パウロがそれを自分の使命だと感じることはなかったでしょう。
第二の理由ははパウロの終末論的時間理解です。パウロは主の来臨が近いと確信していました。「残された時は短いのだから、結婚しないことを勧める」と書き送ったほどです。このようなパウロでしたから、今から福音書を書いても、それを利用する時間はほとんど残されていないと考えたのです。
第三の理由は、パウロの福音理解にあります。生前のイエス様に従ったペトロたちにとって、福音は自分が体験したイエス様でした。自分が出会ったイエス様を語ることを通して、ペトロたちは人々を信仰へと導きました。これに対して、パウロは生前のイエス様を何一つ知りませんでした。パウロが体験したのは復活されたイエス様であり、このイエス様の救いの力を日々体験していました。パウロは自分が体験した復活されたイエス様と、その救いの体験を語ることが福音宣教だと考えていました。ですからパウロは、生前のイエス様のみ教えやみ業を書き記した福音書を書き記す必要を感じなかったのです。