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カトリック入門

「カトリック入門」 第17回 死とは?【動画で学ぶ】

序)
 新型コロナ感染症が始まって一年が経ちました。
 最初は二、三か月で終息すると思ったら、一年が過ぎた。早く終息することを願いたい。都内にいると、いつ感染するかわからない。
 最近、近くを散策すると、食堂がけっこうつぶれている。コロナの影響。
 耐えられなくなり、自死に至る人もいます。助けあいたい。

1)死とは?
 人間は必ず一度は死ななければならない。キリスト信者にとって死は決して暗いものではなく、明るい希望に満ちたものである。
 人間は死によって完全に無に帰するのではない。
 死は、だれも逃れることのできない宿命。
 死の場面に立ち会う。親しい人の死。祖母の時。母の時。
 生と死の格闘。亡くなった人の顔。父の死(顔に触り、冷たいと感じた)。うつぶせに亡くなり、顔が黒くなっている。とても苦しんで、口が開いている。安らかな顔。

*死は罪に対する制裁(旧約の中で)
 罪は、人間の本性と神の意志に反するために悪であるばかりではなく、人間を具体的に死に導く道でもある。
*「一人の人間のよって罪が世に入り、その罪によって死が入り、こうして、すべての人間が罪を犯したので、死がすべての人間に及んだ」(ロマ5・12)
*「一人の人間の罪によってすべての人間が有罪とされたように、一人の人間の正しい行為によって、すべての人間が義とされ、命を与えられたのです。」(ロマ5・18)

2)キリストの死
 ラザロの死でイエスは涙を流す(ヨハ11・35)
 ゲッセマネでの祈り(マタ26・37~)
 イエスの死(マタ27・46)「私の神、私の神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
 イエスは私たちの罪のために十字架につけられ、生涯をささげる。
 十字架はいちばんむごい死刑の方法。
 私たちのために十字架につけられる。
 十字架で最高の愛を示す(一ヨハ4・10)
 「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。生きるにしろ、死ぬにしろ、わたしたちは主のものなのです。」(ロマ14・8)
 十字架上で亡くなり、霊を送る。そして復活する。
 「息を引き取る」、それは「霊を送る」
 イエスは人類を死の支配から解放するために死ぬべき人間の姿をとることを望む。

3)キリストの勝利は、死に対する勝利
 死者を復活させる(マタ9・18~25)
 復活でありいのちである(ヨハ11・25)

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