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これってどんな種?

聖霊を感じるという種 聖霊降臨の主日(ヨハネ14・15〜16、23b〜26)

 私たちは、「第六感」や「虫の知らせ」または「良心の呵責」のようにときどき心の声に気づく時があるのではないでしょうか。もしかしたら、このような【心の声】が聖霊の働きなのかもしれません。

 きょうのみことばは、イエス様が弟子たちに「別の弁護者」としての【聖霊】を遣わされることをお約束される場面です。イスカリオテのユダが席を離れた最後の晩餐の中でイエス様は、後に残る弟子たちのためにいろいろなことを話され、最初に「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13・34)と【新しい掟】を示されます。

 イエス様は、きょうのみことばの最初に「あなた方がわたしを愛しているなら、わたしの掟を守るはずである」と言われます。これは、弟子たちだけではなく、私たち一人ひとりに与えられた言葉であり、私たちとイエス様をつなぐ唯一のものが【新しい掟】を守ることと言ってもいいでしょう。しかし、私たちがイエス様を「愛します」と言ってもそう簡単なものではありません。人と人とが出会い、お互いが好きで愛し合い、やがて結婚しても「愛し続ける」ためには何度か、壁に遭遇することもあるかもしれません。そのために、聖霊の働きがあるのではないでしょうか。

 イエス様は、「わたしも父にお願いしよう。そうすれば、別の弁護者を遣わして、いつまでもあなた方とともにいてくださるようにしてくださる。」と私たちに聖霊をおん父が遣わされることを約束されます。イエス様は、私たちの弱さをご存知です。私たちは、イエス様が与えてくださった【新しい掟】を行おうと思っても自分の力だけでうまく出来ません。そのため、イエス様は、弁護者である聖霊をおん父に遣わしてくださるようにと約束されたのです。

 イエス様は、「別の弁護者」と言われますから、もう一人の弁護者いることになりますが、その方は、「わたしたちには御父のもとに弁護者である、イエス・キリストがおられます」(ヨハネ第1の手紙2・1)とありますようにご自身が私たちの最初の【弁護者】なのです。おん父は、イエス様を私たちの「助け主」「忠告者」「保護者」として遣わされたのでした。

 イエス様は、別の弁護者として聖霊がいつも私たちと「ともにいるようにしてくださる」と言われます。聖霊は、ギリシャ語で「プネウマ」と言われ「気息」「空気」「風」「大いなるものの息」という意味があるそうです。ですから、【聖霊】は、私たちの周りに「空気のように」または、「風のように」いてくださるのです。今一度私たちと一緒に居られる【聖霊】を感じてみることも良いのかもしれません。日常の生活の中で「あっ、聖霊が働かれている」「私のことを守ってくださった」と気づく瞬間があるかもしれませんね。

 イエス様は、再び「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。」と言われて弟子たちに【新しい掟】を思い起こさせます。イエス様は、「わたしの掟を自分のものとし、それを守る人、その人は、わたしを愛する者である。」(ヨハネ14・21)と言われるように、弟子たちに繰り返し教えられます。私たちがイエス様からの【新しい掟】を守る時、イエス様は私たちと共におられ、そればかりではなく、おん父も聖霊も私たちの中に一緒に住んでくださるのです。私たちは、ご聖体をいただくとき、口の中でイエス様を感じ、体だけではなく私たちの心までイエス様で一杯に満たされることを感じることでしょう。そこには、三位一体の神様が一緒に居られることでしょう。三位一体の神様は、私たちが弱さのために罪を犯すことがっても、アガペの愛によって私たちの中に住んでくださるのです。

 残念なことにこのような素晴らしいお恵みをいただいているのですが、イエス様の掟を守らない人もいるようです。ヨハネの手紙の中に「神を知っていると言いながら、その掟を守らない人は、偽り者であり、その人の中には真理はありません。」(ヨハネの第1の手紙 2・4)とあります。イエス様は、私たち一人ひとりを愛され、私たちがその愛に応えることを望まれています。それは、私たちが日常の中で周りの人びとと互いに愛し合う時に感じるものではないでしょうか。私たちが互いに愛する時イエス様も私たちを祝福してくださっていると言っても良いでしょう。

 イエス様は、「その方がすべてのことをあなた方に教え、わたしが言ったことをすべて思い起こさせてくださる」と言われます。イエス様は、たとえ私たちが罪を犯すことで、おん父から離れてしまっても、聖霊の力でご自分が語られたことを私たちに何度も思い起こさせてくださいます。私たちが生活の中で、判断に迷った時に聖霊は、「イエス様だったらどうされるのか」と気付かされることでしょう。聖霊は、私たちがイエス様の【新しい掟】を忘れている時、または、困難にぶつかってしまう時、自力では人を愛せないで苦しんでいる時、私たちを助けてくださるのではないでしょうか。私たちは、三位一体の神様がともにいてくださること、特に聖霊の働きを感じながら日々の生活を歩むことが出来たら良いですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. つまずきという種 年間第26主日(マルコ9・38〜43、45、47〜48)

  2. 幼子を受け入れるという種 年間第25主日(マルコ9・30〜37)

  3. おん父のみ旨という種 年間第24主日(マルコ8・27〜35)

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