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みことばの響き

隣人 年間第30主日(マタイ22・34~40)

 隣人というと何となくかけ離れた存在に響いてきますが、もともとの意味はギリシア語でプレリオン、ラテン語ではプロッシムスが使われ、自分にとって最も近い人を示す言葉です。近いと言えば、夫なら妻、親なら自分の子ども、兄弟姉妹ということになるでしょう。

 近い国同士には難しい局面があります。例えばインドとパキスタン、インドネシアとオーストラリア、イギリスとアイルランド、アルゼンチンとチリ、ペルーとエクアドルといった具合に、日本の場合でも、韓国や中国というように…。

 15年前のことですが、長崎教区の方々と韓国の小共同体を訪問したことがあります。私は雑誌の取材で同行しましたが、ソウル教区やいくつかの教区をまわり、とても寛大に迎えてくれました。ある日のこと、夕食が終わり、家庭での小共同体の集いに参加した時のことです。車座になり、中央にローソクが置かれていました。聖書の言葉に耳を傾け、お互いに分かち合いました。一人の方が「竹島問題についてどう思いますか」と。とたんにみんなの顔の表情が変わりました。何となくみことばを分かち合う雰囲気ではない状況でした。すると一人の韓国の方が、みことばの分かち合いなので、政治の問題についてはやめようと言い、それで事は収まりました。

 ローマで広報の勉強をしていた時、15名の学生がいました。そのうちの一人は25歳くらいの女性で、エクアドル出身でした。教区から派遣された女性信徒ですが、ちょうど学んでいた時、隣国のペルーとのいざこざが続き、しかも日系のフジモリ大統領でした。そのために彼女にとって、日本というのは非常に嫌な印象を持っていたようでした。

 「隣人を自分のように愛する」というのは、ほんとうに身近な人たちから大切にしていく必要を感じます。

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