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みことばの響き

誘惑か試みか 四旬節第1主日(マタイ4・1~11)

 今日の聖書の箇所を、種々の翻訳で比べてみると、「誘惑」、「試み」と訳されたりしています。いったいどちらが原文にマッチしているのでしょうか。

 「国語辞典」を調べてみると、「誘惑」とは「相手の心を迷わせて、悪い方面のことに誘い込むこと」、「試み」とは「あることをためしにやってみること」と記されています。二つの意味からして、今日の箇所は「誘惑」の方が妥当のように思います。

 さてこの誘惑も、マルコ福音書の場合は40日間ずっと誘惑を受けるように描かれていますが、マタイ福音書の場合は、40日間断食して、それから誘惑を受けるように描かれています。両者を比べてみると、後者の方がきつい誘惑に感じられるでしょう。

 40日間の断食は荒れ野で行われます。荒れ野は不毛の地、野獣が住む危険な場所です。私自身、真夏のシナイ半島にある荒れ野を旅したことがありますが、そこは昼になると摂氏45度近くになる世界。そんな所で40日間断食すると空腹を覚えるのは当然で、通常なら耐えられない状況です。その後、イエスは誘惑を受けます。

 誘惑の第一は「石がパンになるように命じること」です。人間的な弱さをねらった誘惑です。しかし、キリストは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と語ります。第二に悪魔はイエスを神から引き離そうとします。しかし、イエスは「あなたの神である主を試してはならない」と語ります。第三に悪魔はイエスに「ひれ伏して」礼拝することを要求します。それは権力への屈服を意味します。しかし、イエスは「退け、サタン『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』」と強い態度で対応します。イエスは旧約聖書の内容や、かつて預言者たちが受けた誘惑などを想起しながら、それらに打ち勝っていき、人々に対して新しいモーセのイメージを提供していきます。

 現代世界にも種々の誘惑が蔓延しています。そんな時、イエスのしっかりした対応は、私たちの誘惑に立ち向かう秘訣を教えてくれます。

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