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みことばの響き

正しさ 待降節第4主日(マタイ1・18~24)

 今日のみことばで「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(マタイ1・18)とあります。その当時、婚約は結婚したのと同等の法的拘束力を持ち、タルムードによれば、婚約から結婚まで12か月、場合によっては労力奉仕によって数年になることもあったようです。また婚約した娘は、父の家にいて、結婚するまで清い者として過ごすことが要求され、男女間の性的関係は禁じられていました。ところが身ごもっていることが分かればどうなるのでしょうか。

 マリアの立場で考えると、婚約相手とは別の人と関わりがあれば、姦淫罪で石殺しの刑を受けることになります。また生まれてくる子どもは私生児として扱われることになっていました。

 ヨセフの立場で考えると、すでに婚約しているので、ヨセフは裁判所に訴える権利がありました。こうした状況で、人間的に見るとマリアはとても罪深い女性に見えてきます。でも身ごもったのは「聖霊によって」とはっきりと聖書で断定します。マタイにとって聖霊とは、絶対的なもので、「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒涜は赦されない」(マタイ12・31)とイエスは語ります。あくまで聖霊の恵みがマリアに特別に与えられたことを強調します。

 またヨセフも正しい人でマリアを訴えることはしません。普通の男性ならば、マリアに侮辱されたと思うでしょうが、ヨセフはマリアの心を決して傷つけようとはしません。自分の権利だけを主張しないヨセフの懐の広さがよく感じられます。

 自己中心に走りやすい今の時代にあって、ヨセフの正しさや人への思いやりをよく学ぶことができます。

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