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みことばの響き

見失った羊 年間第24主日(ルカ15・1~10)

 アイルランドのダブリンから西へ約30キロ行ったところにメイヌースという町があります。聖パトリック大学、サレジアン・シスターズ、神言修道会、コロンバン会、そして聖パウロ修道会の修道院があり、この修道院で約8か月生活したことがあります。かれこれ25年前の話ですが……。

 休みになると近辺を散策して、ノンビリと羊を眺めるのはよいリフレッシュで、さらにはバスや電車を利用して西に向かうのも楽しいものでした。バスだとゴールウェイ方面、電車だとスライゴ方面。どちらにも共通しますが、車窓から広大な草原の世界やノンビリと草を食む羊の光景をただボーと見るだけでも、心が癒されるようでした。そんな放牧された羊を守るために、最近は鉄の柵で囲んでいるところもありますが、古い家庭だと石を積み上げて、それを囲いにしている所もけっこうあります。その方が何となく自然に感じます。

 今日のみことばで「百匹の羊を持っている人がいて、見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」とあります。マタイ福音書の場合では羊を「山」に残していますが、ルカ福音書の場合は羊を「野原」に残しています。山に比べて野原は安全なように感じますが、アイルランドで放牧されている羊の光景を想像したら、見失った羊以上に、野原に残された羊は怖い思いをするのではないだろうかと思います。今の時代のように柵がしっかりしているわけではないので、犬、狼、凶暴な動物が侵入してくるのも容易なほどです。そんな危険を冒してまでも、その一匹を捜しに行く主人の姿に、羊への深い愛情を感じます。

 私たちの世界にも、見失った一匹の羊を捜しに行く状況が多々あるでしょう。そんな時、99匹の犠牲の上に成り立っていることを痛感します。

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