書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

最初の宣教師たち

全面捜索――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(34)

 ある日突然、王子警察署の森署長が三人の私服警官を連れてやって来た。私たちはただちに集合させられ、家宅捜索が告げられた。私たちは家中を探し回る警官一行のお供をしなければならなかった。誰もその場を離れることは許されなかった。警官は部屋から部屋へと移動し、戸棚、小箱、服のポケットと、どこもかしこも探し回った。私には彼らが何を探しているのか、皆目検討がつかなかった。そして当然のことながら、彼らは危険なものや怪しいものを何一つ見つけることができなかった。彼らは、私たちが何も隠すべきものを持たない、ただの貧しい人間だと分かって満足しただけであった。最初のうち、捜査員たちは細かく熱心に調べていたが、捜索が進むにつれて何一つ疑わしいものは出てこず、疲れもあってか、調べ方は次第に大ざっぱになり、綿密に捜索しなくなってきた。警官たちの表情にも変化が出てきて、ある警官に至っては冗談さえ言い始めた。

 一連の捜索の最後は、パガニーニ神父の所持品検査であった。彼の小箱からは実にさまざまな、思いもかけない品物が数多く出てきた。たくさんの靴下、ハンカチ、シャツ、下着……。それは森署長が思わずこう言ったほどだった。

 「仲間の人たちは、あんまり持ち物を持っていないのに、どうしてあんたは分けてあげなかったのかね?」。

 痛快なユーモアは、森署長がパガニーニ神父の服のポケットを探したときに爆発した。神父のポケットからは、これが普段あの謹厳な人かと思うほど、たくさんのガラクタが「これでもか、これでもか」とばかりに出てきたのである。署長が笑い出し、居あわせた者たちも一斉に笑い出した。初めは真剣に私たちを疑っていた警察の捜索は、こうして終わりを告げたのである。最後に捜査員たちは、もっと徹底的に調べたいからという口実で、何冊かの本と帳簿類、書類を警察に持ち帰っていった。その後でキエザ神父が書類について説明するために警視庁に呼ばれたが、結局面倒なことは何も起こらなかった。

 再び私たちが真剣に心配したのは、あの言いようもなく無礼な陸軍の軍曹に指揮された憲兵隊学校の士官候補生たちが、明らかに挑発的な目的でパウロ神父の事務室に侵入してきたときのことである。実際、パウロ神父は彼らからのさまざまな質問責めと巧みな誘導尋問に頑強に抵抗しなければならなかった。あのころ起こったすべてのことが、極めて危険でなかったならば、さぞや楽しいことであったのだろうが……。

 私たちは、他の修道会や宣教会の宣教師たちがこうした誘導尋問への答えと話す内容に注意を払わなかったため、陥りやすい言葉の罠に引っかかってひどい目に遭ったのを知っていた。士官候補生たちは引き揚げる際に、玄関で騒々しく軍靴を履きながら、パウロ神父のことを「この人は本当に優秀な人だ」と褒めるまでになっていた。続いてあの軍曹も出て行った。パウロ神父を強制収容所に送り込もうとする企みが全て失敗に終わって、彼はさぞがっかりしたことだろう。別の時には、ある警官が私たちを説き伏せようとしてこんなことを言った。イタリアは戦争に負けて枢軸国を裏切ったわけだが、それは国民が弱すぎたからだ。その弱さの原因はイタリアに神父や修道士、修道女がたくさん居すぎるからで、多くの人が結婚をしないからなのだ。もし、彼らが普通に結婚して子どもを産んでいたなら、もっとたくさんの兵士を戦線に送ることができたのではないか?と。

 ムッソリーニがサロの共和国に姿を現した時、私たちは自由の身となった。

 警察の上層部からの指令で、私たちの解放の知らせは某日の午後三時に伝えられるはずであった。その少し前、森署長は憲兵隊のあの軍曹が応接間に来ているのを警備の警官から聞いていたので、隠れるようにして私たちの修道院にこっそりと入ってきた。彼はパウロ神父を別の場所に呼び、軍曹に気づかれずに話せる場所に私たちを集めるよう頼んだ。そこで私たちは聖堂に集まった。森署長は祭壇の前で、おおよそ次のようなことを話した。

 「私は、あなた方が数分後には自由になるとお伝えすることができることを喜んでいます。個人としては以前から、あなた方を空の鳥のように自由にしたいと願っていましたが、それは私の権限ではありませんでした。みなさんにはたいへんご迷惑をおかけしましたが、この機会にお互いをよく知り合う機会が持てました。今後、もし何か起こったら、どんな小さなことでもいいですから、遠慮なく私の所に来てください。うまく解決できるよう最善を尽くします」。

 私たちは、集まった時のようにこっそりと聖堂を出て、修道院のそれぞれの場所に分散した。署長は玄関に回り、今度は堂々と修道院に入って来た。午後三時きっかり、軍曹のいる前で署長は、私たちがその瞬間から自由になったことを正式に告げた。それから、門前に立っていた警備の警官を引き揚げさせて帰っていった。少ししてから、あの軍曹も「また来るぞ!」と言い捨てて立ち去った。幸いなことに、私たちはその後、二度と彼の姿を見ることはなかった。

ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP