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会員たちのコラム

永遠に古く、常に新しいもの 〜会員たちのコラム〜

要約
 聖アウグスティヌスの「あなたは私と共におられたのに、私はあなたと共にいませんでした」という言葉は、現代を生きる私たちパウロ会員にも深く響くものです。私たちはしばしば、自分の外に使命の意味や使徒職の方向性を求めがちですが、実はその答えはすでに自分の内に——創立者アルベリオーネ神父の霊性と聖体体験のうちに——与えられています。創立111周年を迎えた今、教会が「希望の巡礼者」として共に歩むよう招いているように、私たちもまた根源に立ち返り、聖体に根ざした刷新を生きることが求められています。アルベリオーネ神父が「光の夜」に受けた恵みは、AIやデジタル時代に生きる私たちにも通じる導きの光です。その光に照らされながら、「今日の使徒」として現代世界の中で共に歩み、内なる炎を再び燃やし、平凡さを越えて沖へ漕ぎ出していくとき、そこにこそ聖霊の新しい息吹と希望の未来が開かれるのです。

 「あなたを愛するのが遅すぎました!ああ、古くして新しい美よ、あなたを愛するのが遅すぎたのです!見よ、あなたは私の内におられたのに、私は外にあなたを探し求め、そして醜さのうちに、あなたが造られた美しいものに身を投じていました。あなたは私と共におられたのに、私はあなたと共にいませんでした。」
 聖アウグスティヌスが神を自らの内に見いだしたときに語ったこの言葉は、まさに21世紀のパウロ会員たちが抱く神への渇きと飢えを余すところなく響かせています。
 私たちはしばしば、修道生活の意味やパウロ的使徒職の現代的意義を自分の外に求めがちです。しかし、実際には、それらの宝はすでに私たちのうちにあるのです——創立者アルベリオーネ神父の豊かな遺産として受け継がれ、今も脈打つパウロ的カリスマのうちに。答えは内にあるのに、私たちはその光に気づかず、すでに自分の心の奥で輝いている炎を探して外ばかり見つめています。
 福音宣教の手段としての社会通信は20世紀よりもはるかに発展し、強力で、しかも今日的な意義を増しています。私たちはその進歩を認めながらも、なおその世界へ踏み出すことや、適切に活用し管理することにためらいと躊躇を感じてはいないでしょうか。「あなたは私と共におられたのに、私はあなたと共にいませんでした」と、私たちの使徒職についてもアウグスティヌスと同じように言えるのかもしれません。
 2025年8月20日、聖パウロ修道会は創立111周年を、インドの修道会は創立90周年を迎えました。長い道のりでしたが、まだ数多くの里程標が残されています。教会が「シノダリティのシノドス」と「2025年聖年」を迎えるこの歴史的な節目は、私たちに新たな省察を呼びかけます——「希望の巡礼者」として、より共に歩む教会の姿、そして刷新された弟子としての歩みへと。
 この重要な時期にあって、聖ヨハネ・パウロ二世の言葉が私たちを内省へと導きます。「恐れてはなりません。平凡さに満足してはなりません。沖へ漕ぎ出して網を降ろしなさい(ルカ5:4参照)。根源へと遡りなさい!自分自身に厳しくありなさい。おそらく他者にもそうすべきでしょうが、まずは自分自身に対してです!」
 「根源へ遡る」という光のもとで、自らの生活と使命をもう一度歩み直す——それは信仰と希望に支えられた「巡礼」の旅であり、神の介入を求め、神体験へと至る道です。

光の夜——聖体的刷新
 もしアルベリオーネ神父が「光の夜」に受けた聖体体験が、私たち自身の人生と使命を形づくるものとなったなら——それは今日の教会、修道会、そして現代社会の文脈の中でどれほど大きな意味を持つでしょうか。アルベリオーネ神父は、自らの「無」であることを深く自覚しながらも、聖体の主から光、糧、慰め、悪への勝利、すべてを受けると強く信じていました。
 私たちにとっても、それは「根源へ戻る」旅——すなわち私たちが生まれ出た聖櫃へと向かう旅です。それは義務的な聖体訪問ではなく、21世紀における信仰・希望・変容・使命の巡礼です。
 あの夜、アルベリオーネは光を受けるため、神の恵みに包まれるため、そして完全に神に依り頼むために、心を開いて拝跪しました。その結果、彼の心と精神は「聖体、福音、教皇、新しい世紀、新しい手段」に釘付けになったのです。今日、私たちも同じ柱に使命を根ざし、AIやデジタルプラットフォームなどの現代の手段を取り入れるよう招かれています。共同体がこの古来の聖体信心と精神に基づくとき、そこにはアルベリオーネの幻が息づき、「新しいアルバの家」として神の目的を響かせる存在となるのです。

パウロ的使命の継承
 アルベリオーネ神父は、新しい使徒職の形のために修道者を育て、福音的勧告を通してより完全へと導き、使徒的生活の報いに与らせたいと強く望みました。このカリスマが、時代を超えてパウロ的使命を支え、統一性と安定性、そして継続性をもたらしてきました。
 今日の私たちパウロ会員には、聖霊が創立者に与えた霊感——修道者の共同体を育てるという賜物——を生かし続ける責任があります。そのためには、聖パウロの熱意と精神をもって若い召命を育て、特に編集やメディアなどの分野で専門性を高める努力が必要です。また、継続的な養成においても全員への配慮が求められます。

唯一の精神——キリストを生き、教会に仕える
 創立者の言葉によれば、パウロ会員の精神と使命は「イエス・キリスト——道であり、真理であり、いのちである——の福音を、聖パウロの精神において、聖母マリア・使徒たちの女王のまなざしのもと、完全に生きる」ことです。
 パウロ会員は教会のうちで、そして教会のために、奉献生活を生きるよう召されています。普遍教会・地域教会との関係は欠かせず、その鼓動とともに生きることが求められます。
 この使命は単なる協働にとどまりません。キリストの使命の中に自分の人生の意味と充実を見出し、現代社会・人々・世界に対してパウロ的使命を常に新鮮で意味あるものとする努力が求められます。教皇フランシスコが語ったように、「人生から距離を置く教会ではなく、今日の問題と必要の中に身を投じ、神の愛という香油で傷を包み、心を癒す教会」であるように。

今日の使徒となる
 若きアルベリオーネは、トニオロの「今日の使徒であれ」という言葉に啓発され、それ以降も常に「時代の使徒」として生きました。創立111周年を迎える今、私たちは過去や未来の使徒ではなく、「今日」の現実の中で生きる使徒でなければなりません。
 シノドスと聖年という二つの出来事は、現代世界における使命への道筋を示しています。それは人間・文化・経済・生態系すべてに関わる深いインスピレーションを与え、教会の意図を読み取り、現代の中で生き生きと活動するよう促しています。
 「共に歩む」というシノダリティは、単なる構造ではなく、キリストと共に、すべての人類と共に神の国へ向かう旅路です。それは、互いに聴き合い、対話し、識別する共同体の営みであり、そこにこそ生きたキリストが現れます。
 このプロセスは三段階です。
 まず、教会から世界政治、地球環境、AI、宇宙開発まで、現代の現実に耳を傾けること。
 次に、それらと対話し、使徒職の方向性を描くこと。
 最後に、共同体として識別すること。パウロ的使命は常に共同体的なものであり、あらゆる宣教活動は協働の実りでなければなりません。
 私たちは今、恵みと挑戦の分岐点に立っています。神の言葉と聖体の光のもと、「希望の巡礼者」として歩み続けるのです。荒波や険しい道が待ち受けても、私たちの希望は主のうちにあり、主は決して失望させません。
 「だから、愛する兄弟たちよ、しっかり立って、動かされず、いつも主の業に励みなさい。主にあってあなたがたの労苦が無駄にならないことを知っているのです」(㈵コリ15:58)。
 アウグスティヌスのように内なる光を見いだし、聖体の恵みの泉から新たな使徒的勇気をもって外へと踏み出す——それが今、私たちに求められています。過去の記念は未来への跳躍台であり、今日という時代の使徒として、世界の叫びに耳を傾け、その複雑さと対話し、共に福音を告げ知らせる使命を識別するのです。
 さあ、平凡という影から抜け出し、「光の夜」へと歩み出しましょう。創立者の精神を「遺物」としてではなく、「炎」として再び燃え上がらせましょう。その炎こそが、私たちを「希望の巡礼者」として突き動かす力となるのです。聖体に根ざし、教会と一致し、根源の知恵と聖霊の大胆さを携えて、私たちは確かに「沖へ漕ぎ出す」ことができるのです。なぜなら、私たちの使命とは、遠くの光を探すことではなく、すでに内に燃える光を世界へと放つことだからです。

ドミニク サヴィオ ドゥシルバ(インド管区、司祭)

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