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信心のすすめ

使徒パウロ──信心のすすめ(13)

 「私は、キリストの底しれない富を異邦人に告げ、万物の創造主である神のうちに、世々にかくされていた奥義の分配者とは何かを示す恩寵を受けました。それは、神の多種多様の知恵を天の権勢と能力とに、教会によって、知らせるためです」(エペソ3,8-10)

 使徒職は、キリストのわざの継承です。キリストは使徒でした。「使徒として、また大司祭としてのイエス・キリストを私たちは持っています」彼は、聖パウロと使徒と、司祭たちに、使徒職を伝授しました。「私たちは、彼によって使徒職を受ける」のです。使徒職とは、イエス・キリスト(神の国)のために万物を獲得し、教会をたて、人々に神を与え、神に人間を与えるために力をつくすことです。
使徒は信じ、のぞみ、行動します。聖パウロは次のように信じていました。「神は民の中で、この光栄ある神秘の富を知らせることを望まれました。……神の正義は、イエス・キリストの信仰によるものです」と。

 聖パウロは、次のようにのぞんでいました。「私は自分自身をささげつくします。……すべての人にとってすべてとなりました……。イエス・キリストの奉仕による使徒であること」をのぞんでいました。

 聖パウロは次のように行動しました。崇高な使命、勝利について確信し、全世界のために働きました。

 司祭はこのようにあるべきです。すなわち、生き生きとした信仰を持ち、真剣で、不撓不屈ののぞみを、死に至るまで持たなければなりません。

 人間の間で、このように高い理想のために、自分を使い尽くすことは、美しく偉大なことです。「多くの人に正義を教えた人々は、輝くであろう」(ダニエル12,3)。

補助=元来、キリスト教的である人間の心は、真理と徳と平和をあこがれます。広大な世界は、福音を受け入れました。なぜなら、他のどのような方法によっても、平和と善を得なかったからです。状況は今日でも同じです。
神の力=「福音を告げることによって、われわれの神において、勇気を得る」(Ⅱテサロニケ2,2)のです。

 福音自体はすべての疑いを解き、罪から解放し、徳をたてさせ、また準秘跡的なものです。「実に、神のことばは、力があり、結果をもたらし、いかなる両刃の剣よりもするどいものです。それは、魂と霊、関節と骨髄とを切り分けてとおり、心の思いと考えとを分けるほどのものです」(ヘブライ4,12)

 内的生活の使徒職は第一であり、次に苦しみの使徒職、模範、祈り、出版、わざによる使徒職が続きます。

糾明=さばきの日、私たちはどうなるのでしょうか。
痛悔=私は、わたしのはじかしめと、イエス・キリストの功徳と、間ならびに聖なる使徒と司祭たちの使徒職を、つぐないとしておささげいたします。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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