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信心のすすめ

使徒の女王──信心のすすめ(11)

 私たちの母であり、師であり、女王であるマリアを前にして「この流謫が終わるとき、尊いおん子イエスを私たちに示してください。寛容、仁慈、甘美にましますマリア!」とくりかえすのは自然なことです。永遠の光りに照らされて、マリアはおん父と人類と天上にイエスを与えるという使徒職を遂行しました。

 マリアはイエス・キリストを地上にお与えになりました。神は、彼女において、その「フィアット」(なれかし)のことばによって、『人類の救い主なるイエス』となり、人々のために、人間・神となって、ご自分をおあらわしになりました。マリアは、そのご絵の中で、ご自分の童貞としての血によって、聖体のなるおん子を身におび、その尊いおん子イエスを捧げ、生きた、聖なる神によみせられたホスチアを、甘美な愛をもって支えるようにし、イエスを紹介しています。

 マリアは、おん父にイエスをお与えになりました。イエスによって、おん父は、新しい、そして無限の栄誉を受けるのです。マリアは、貧しい民、約束された神の遺産を代表して、救い主のゆりかごのところに、はじめに召された羊飼いたちに、イエスをお示しになりました。幼な子の単純さをもつことによって、神の国に受け入れられるのです。

 マリアは、イエスを忠実な自分の夫聖ヨセフに示し、また養父としての彼を、イエスに示しました。キリストは金の小羊として旧約を終結させ、新しい時代を開かなければなりませんでした。

 彼らは二つの聖性のタイプであり、ご自分の中に、すべての徳を修めながら、二つの最高の証明を代表しています。

 マリアは、イエスを異邦人にもお示しになりました。それは博士たちを代表してであり、彼らはベトレヘムのゆりかごのところに来てはじめての異邦人であり、また彼らは後日、カトリック教会の中心をなす人々を代表する人たちでありました。

 マリアは、イエスを神殿にさざました。また、ご自分のおん子、ふさわしいいけにえ、その召命によって、永遠の司祭である彼をささげました。おん子は「万民の前にそなえられた民の救い、万民のための救いの光り」(ルカ2,29以下)です。

 マリアは、イエスをエジプト人たちに示しました。流謫の時、彼に同伴し、そして、崇高なご計画に従い、いけにえの予言を実現しながら。

 ナザレではマリアは、私生活の完全な模範、すべての人とあらゆる世紀にとって、力となるイエスを示しました。そこでイエスは英知と年齢と恩寵に成長していました。彼はそこで行動しはじめられたのです。彼は、そこで、すべての個人徳、家庭的、社会的、宗教的、市民的徳において神のモデルとなりました。

 マリアは、イエスを神殿にともないました。また、神の諸秘義の実行者である彼女は、「彼らに聞き、また問いただしていた彼」、おん父の英知である彼を、博士たちに示したのです。イエスのことばを聞いたすべての人は、「彼の英知とその答えにおどろいていた」のです。

 マリアは、カナの婚宴で使徒たちに彼を示しました。そこで、ご自分をお現しになる時に、しるしを与え、取り次ぎながら、水をブドウ酒にかえるという奇跡を行なわせました。イエスはこのはじめての奇跡をガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光をお示しになったのです。こうして、彼の弟子たちは、彼を信じました。弟子たちをとおして信仰は世に伝えられたのです。

 マリアは、カルワリオにて、十字架にかけられた全世界の救い主てある彼を示しました。そこで、地獄は打ち負かされたため、恐れおののいたのです。旧約の義人たちには天国が開かたため、彼らは喜びました。時は愛のしるしを受け、けだかいイエス・キリストを、愛された者のために、いけにえにささげたのです。

 マリアは、キリストの昇天の日に、天にましますおん父に、彼をおかえしになりながら、これをお示しになりました。栄光をおびた体、光りかがやく傷、神とたましいのために、愛の二条の光りを放つべく開かれたわき腹、天国のための栄光の太陽、すべてをご自分にひきよせるための全能の力、霊魂たちを集める頭としての彼を、おん父に示されたのです。マリアは、その祈りによって、イエス・キリストの霊を使徒たちと生まれたての教会に与えました。マリアは、すべての敬虔な人々にキリストを紹介します。あらゆる年齢の人々、あらゆる時代の人々に。マリアを通してキリストへ。

 マリアは、天国に入る私たちに、イエスを示されることでしょう。多くの恵みを私たちにお与えになったそのみ手に接吻するために、私たちはイエスとマリアのみ前に身をかがめるでしょう。

 マリアは常に、キリストをもたらし、腕を広げ、木にかけられて苦しんでいるイエス、栄光を受け、聖体にこもり、人々の道、生命であるイエスを人々にたえず与えるでしょう。マリアは、イエスの使徒です。たんにことばだけでなく、心と意志と知恵によって。ことばによって必要な、本質的ことば「なれかし」。わざによっては、つねに完全に。

 意志によっては、すべて、愛によって生きていました。

 知恵によっては、どのような子どもの母となったかを、お告げの瞬間から知っていました。ペンをもって書く以上に、イエスを書いたのです。すなわち、マリアはイエスをご自分で、つまり、聖霊の力によってご自分の血をもって、ご自分をもって養育し、また、イエスを与えたのです。すなわち、彼において福音を私たちに与えました。

 イエスを与えました。すなわち、彼においてすべての完全性を紹介しました。

 イエスを与えました。すなわち、私たちに、救い主、聖体、生命を与えてくださいました。「元后あわれみ深い御母、私たちのいのち、なぐさめ、希望にましますマリアよ!」

 さて、マリアは使徒であり、使徒の女王であり、すべての使徒職の模範であり、すべての使徒的徳の啓示者です。天がマリアに賛美の歌を歌いますように。マリアによってマリアとともに、マリアにおいて、すべてのほまれが、聖三位一体にのぼりますように。

 聖歌に「サルヴェ・レジナ」、「アヴェ・レジナ・チェロールム」、「レジナ・チェリ・レターレ」などの歌を持っていることは、すばらしいことです。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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