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信心のすすめ

聖師 2──信心のすすめ(5)

 「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(Ⅰペトロ4,13-14 )。

 Ⅰ キリストを知り、キリストにならい、キリストを愛することが必要です。イエス・キリストは、フィリッポになげきながらおっしゃいました。なぜなら、弟子たち自身さえもキリストを知らなかったからです。「これほどながく、あなたがたの中に私はいるのに、私を知らないのか」(ヨハネ 14,9)と。使徒たちは、イエス・キリストの肉体的(フィジック)なペルソナをよく識別でき、奇跡とその教えの一部分を知ってはいました。しかし、イエスは超自然的な認識、親密な認識について語っていましたし、ご自身の使命とその教え、ご自分の精神とその心の認識、すなわち完全な認識について語っておられたのです。

 この認識は必要です。聖パウロは、「イエス・キリストを知ること……」と言っています。このことが永遠の生命です。つまり、「人々が真の神であるあなただけを、あなたがお送り下さったイエス・キリストを知ることが永遠のいのちです」(マタイ 17,3)と宣言し、また、聖トマスが「私の主、私の神!」(ヨハネ20,28)と叫んだ信仰のような、信仰をもたらします。それは愛と、模倣と、その精神に従って生きるように仕向ける認識です。聖アウグスティヌスは、「あなたが神を知り、把握すればするほど、神はあなたの中で成長するように思われる」と言います。内的な人びとは、この認識において進歩し、神は彼の中で成長しているように見えます。

 Ⅱ イエス・キリストを模倣することは、彼の模範に従って生きることを意味します。もし、私たちがイエス・キリストに従って生きるならば、神に従って生きることになります。託身の目的の一つは、神のおん子が私たちの道になり、天国にたどりつくための模範になることをおのぞみになっていることです。そのために「私にならえ……あなたがたが行なうのを見たように、あなたがたもそのようにするために模範を与えた」とキリストは言われたのです。イエス・キリストは、すべてにおいておん父のみ心にかなうひとり子でした。「これは私の心にかなった私の愛する子」と。イエスに似ることによって、私たちも神のみこころめにかなうものとなり、こうして救われるのです。予定された人々は、イエス・キリストに似たものとならなければなりません。私たちの理論の進め方、話し方、行ない方なども、私たちを見、聞きする人たちが「ごらんなさい。もう一人のキリストを」ということができるようでなければなりません。

 Ⅲ 心から愛し、常に信頼し、もっと深くイエス・キリストに一致しなければなりません。これが、聖師の勉強の第三の目的です。私たちに対するイエス・キリストの愛は、そのたまものによって知られます。すなわち、彼は、私たちに、教会と諸秘跡と聖体ならびに自分の生命をお与えになりました。彼は、私たちに、永遠の至福をも与えてくださるでしょう。愛は愛を呼びます! 「イエス・キリストを愛さない人は、破門(除名)されよ」(Ⅰコリント16.22 )と聖パウロは言っています。

 イエス・キリストを頭として、また、神人として愛さなければなりません。彼は無限に善良で、美しく、愛すべきおかたです。イエス・キリストは私たちの超自然的な生命にとってすべてです。「私のいのちはキリストです」(フィリッピ1.21 )

・反省──私はどのようにイエス・キリストを知っているのだろうか。どのように私は彼を模倣しているだろうか。どのように私は彼を愛しているだろうか。私はどのような信頼を彼にもっているのだろうか。
・決心──「あなたがたの先生は、ただひとりキリストである」ということばをたえず思い出そう。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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