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これってどんな種?

まことの食べ物という種 キリストの聖体の主日(ヨハネ6・51〜58)

 食べ物には、「ジャンクフード」と「ヘルシーフード」とがあります。「ジャンクフード」は、スナック菓子やハンバーガー、ピザ、アイスクリームなどカロリーが高くて、栄養価が低く、塩分、糖分、脂肪分が多い食べ物を指します。一方、「ヘルシーフード」は、野菜や海藻、きのこ、大豆などを使った料理で、カロリーや糖質、塩分、脂肪分が控えめですが、ビタミンやミネラル、タンパク質、食物繊維など体に必要な成分が含まれている食べ物を指します。

 「ジャンクフード」を食べすぎると、肥満、糖尿病など生活習慣病などのリスクが高くなります。逆に「ヘルシーフード」は、バランスよく摂取することによって健康を維持することができます。あらためて、私たちが普段口にする食生活を振り返って見てはいかがでしょうか。洗礼の恵みを頂いている私たちは、ミサの中で「聖体」を頂きますが、まさにこの「聖体」は、心と身体への「スーパーヘルシーフード」と言ってもいいのかもしれません。

 きょうのみことばは、イエス様が「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまこと飲み物」と言われる場面です。イエス様は、およそ5千人もの群衆に「5つのパンと2匹の魚」で彼らを満腹させます(ヨハネ6・1〜13参照)。イエス様は、この徴(奇跡)を受けた群衆に対して「わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は、決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、もはや決して渇くことがない。」(ヨハネ6・34)と言われます。

 きょうのみことばの前でイエス様は、「あなた方の先祖は、荒れ野でマンナを食べたが、死んだ。しかし、これは天から降ってきたパンであり、これを食べる者は死ぬことがない。」(ヨハネ6・49〜50)と言われます。イエス様は、徴を受けた群衆に対してご自分こそが「天から降ってきたパン」であることを伝えます。しかし、群衆はイエス様が言われている意味が理解できないようです。

 きょうのみことばは、イエス様が、群衆に対して繰り返すように「わたしは天から降ってきた、生けるパンである。このパンを食べる人は永遠に生きる。」と言われるところから始まっています。イエス様は、モーセによってエジプトから脱出したイスラエルの民が荒れ野で飢えをしのぐために食べたマンナではなく、ご自分こそがおん父からこの世に遣わされて来た、「生けるパンである」と言われ、さらに「このパンを食べる人は永遠に生きる」と言われます。

 イエス様は、続けて「しかも、わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である。」と言われます。イエス様は、ご自分が与えるパンは「生けるパンである」と言われた後に今度は、「わたしの肉」と言われます。イエス様が言われた「この世」とは、自分たちのことしか考えず、おん父から離れ、悪に満ちた、「この世界」のことです。おん父は、罪によってご自分から離れた人々が【永遠の死】へと向かうのではなく、【永遠の命】を得ることができるように、ご自分の独り子を「生けるパンであるとともに、そのパンが【肉】」として「この世」に遣わされたのです。これは、おん父のアガペの愛なのです。

 群衆は、ますますイエス様が言われたことを理解できず、「この人は、どうして自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」と互いに激しく論じ合います。私たちは、イエス様が【聖体】のことを言われていることを知っていますが、そうではない人がこのイエス様の言葉を聞くと彼らと同じようにいうのが当たり前だと思います。ここに私たちが頂いている【信仰】の恵みの素晴らしさがあると言ってもいいでしょう。

 イエス様は、「……わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」と言われます。イエス様は、最後の晩餐の時にパンを取られて「これはわたしの体である」と言われ、杯を取られ「わたしの契約の血である」(マタイ26・26〜29参照)と言われています。イエス様は、私たちが聖体拝領を通してこの【聖体】を頂き、永遠の命である【復活】の恵みを頂くことをお約束されているのです。

 イエス様は、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だかである」と言われます。イエス様が言われる「肉」と「血」とは、私たちがいただく【聖体】ですが、それだけではなく「みことば」も含まれているのではないでしょうか。申命記の中に「主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8・3)とあります。私たちは、ミサを通してみことばを味わい、さらに聖体を頂いているのです。

 イエス様は、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内に留まり、わたしもその人の内に留まる。……わたしを食べる人もわたしによって生きる」と言われます。私たちは、このみ言葉を味わいながら【聖体拝領】をするとき、「今、私はイエス様と一体となっている」と感じると、より一層聖体拝領が豊かなものとなります。私たちは、きょうのみことばを通して、【聖体拝領】においてイエス様の体を味わい、永遠の命を得る恵みを頂いていることを感謝しながら【聖体】を頂くことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. まことの食べ物という種 キリストの聖体の主日(ヨハネ6・51〜58)

  2. ただ、信じるという種 三位一体の主日(ヨハネ3・16〜18)

  3. 聖霊とともにという種 聖霊降臨の祭日(ヨハネ20・19〜23)

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