教皇フランシスコの講話集の中に『識別』という本があります。もちろん、この講話集が出される前から、私たちは「識別」ということを耳にしたかと思うのですが、いったい識別とは、どのようなことなのでしょう。「識別」の意味は、「相似点・共通点のある2つ以上のものについて、動かし難い特徴に着目して、個体・種類の別や特定の性質の有無などを見分けること」(『新明解国語辞典』)とあります。私たち信仰を持っているもにとって【識別】は、「神様の声」か「悪魔の声」かを【見分ける】ことと言ってもいいでしょう。そのためには、私たちの心の中を整理し選び分けることが必要になってきます。善い識別ができますように静かに私たちの心を糾明する時間を持てればいいですね。
きょうのみことばは、「天の国の秘義」についてイエス様が話されたまとめの部分です。マタイ福音書の13章は、「種蒔きの喩え」から始まり、「毒麦の喩え」「芥子種の喩え」「パン種の喩え」と続き、きょうの喩え話となります。きょうのみことばは、「天の国は畑に隠された宝に似ている。」というイエス様の言葉で始まっています。この「天の国」というのは、亡くなった後に行く所ではなく、おん父との交わりの場所という意味です。ですから、私たちが生活している【今】の状態が「天の国」なのか、そうでないのかを見分ける喩え話というわけです。
私たちは、この言葉を聞くとき「なぜ、畑に【宝】があるのか」と疑問を覚えることでしょう。パレスチナでは、戦争が昔から絶えなかったため人々は、土を掘って宝をそこに隠していたようです。例えば「タラントン」の喩え話に出てくる「1タラントン」を主人から預かった僕が、土の中に埋めた場面があります。彼は、当時の慣習に従って主人の「1タラントン」を土に埋めたのでしょう(マタイ25・14〜30参照)。このように、人々は、宝を土に埋めていたのです。
このみことばに出てくる人は、「土の中に【宝】があるのではないか」と思って探していたのでしょう。その人は、幸いにも【宝】を見つけます。人によって【宝】は、「金銀」であったり、「書籍」であったり、「友人」や「家族」であったりと違います。みことばでは具体的な【宝】のことを書かれていませんが、この人が畑で見つけた【宝】は、求め続けた【何か】だったのではないでしょうか。その人は、何ものにも変え難い【宝】を見つけ、喜びのあまり、行って自分の持ち物をことごとく売り払いその畑を買います。
また、イエス様は「天の国はまた、善い真珠を探し求めている商人に似ている」と話されます。この商人は高価な真珠を見出すと、自分の持ち物をことごとく売りに行き、それを買います。この人は、真珠商で「真珠」を仕入れに行ったのでしょうから、たくさんの真珠の中から【高価な真珠】を見出したのです。この人も、畑で宝を見つけた人のように【自分の持ち物をことごとく売り払い】その【高価な真珠】を買います。
この二つの喩え話に共通なものは、「天の国」を見つけると「自分の持ち物をことごとく売り払っても惜しくない」ということです。私たちは、どうしても、先のことを考えて、全財産を投じることに躊躇してしまいます。しかし、イエス様は、すべてを投げ出しても「天の国」の状態は惜しくないものと言われているのでしょう。もちろん、「自分の持ち物をことごとく売り払う」というのは、文字通りともいえますが、さまざまな欲や虚栄心など、「これは私のもの」という【エゴ】という意味でもあるのではないでしょうか。
さらに、イエス様は「天の国は、海に投げ入れられてあらゆる魚を捕る網に似ている。……善いものは器に集め、悪いものは外に捨てる。」と話されます。この中で不思議と思うのは、「天の国である【網】」の中にも、「善い魚」と「悪い魚」があるということです。漁師は、まずたくさん捕れた魚の中から「善い魚」を【選び出す】ことを行います。この喩えは、前に話された「毒麦」の喩え話に似ています。イエス様は、「代の終わりもこのようになる……そこには嘆きと歯ぎしりがある。」と言われます。
イエス様は、「嘆きと歯ぎしりがある」という言葉を時々使われますが、この言葉は「天の国」から離れた人の状態を表しているのではないでしょうか。逆に天の国にいる人は、「父の国で太陽のように輝く」(マタイ13・45)とありますように、幸せで平安に満ちた状態と言ってもいいでしょう。ちなみに、「太陽のように輝く」という言葉は、変容の時にもあります(マタイ17・2)。私たちは、何かに打ち込んでいる人や、幸せな人を見て「なんだか顔が輝いて見えるよ」と使うのではないでしょうか。まさに、その人は「天の国」の状態と言ってもいいでしょう。
イエス様は、弟子たちに「あなた方は、これらのことがわかったか。……自分の倉から取り出す、一家の主に似ている」と言われて喩えを結ばれます。イエス様は、常に【天の国】へと人々を導きますが、そのためには私たちの【識別】が必要条件なのです。私たちは、どちらが【善いもの】なのかを【見出し】、【選び分け】、【天の国】の状態を保ち続けることができたらいいですね。
