孔子の言葉に「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。これは、文字通り「罪に対して憎むべきものですが、犯したその人を憎むものではない」という意味です。私たちは、罪を憎むだけではなく、罪を犯したその人まで憎んでしまう傾きがあります。この言葉を実行するには、【赦し】そして【愛】というものが必要になってきます。
中島みゆきさんの『有謬(うびゅう)の者共』という曲の中に「間違えてもニンゲン 間違うのがニンゲン」という歌詞があります。私たちは、大なり小なり罪を犯してしまいますし、さらに、おん父の目から見れば、私たちは弱くて脆くて罪深いものです。大切なことは、自分が犯した罪に対して落胆することなく、謙虚に受け入れ【赦される】という希望を持って歩むことかもしれませんね。
きょうのみことばは、イエス様が「罪を犯した兄弟に対していさめなさい」という教えを示される場面です。きょうのみことばの前では、『迷える羊』の喩えが書かれてあります。この中で、イエス様は、羊飼いが100の羊の中で迷い出た1匹の羊を、99匹の羊を残して探しに行くように、「これらの小さな者が一人でも滅びることは、天におられるあなた方の父のみ旨ではない」と言われます(マタイ18・10〜14参照)。
きょうのみことばは、このイエス様の教えを受けての箇所です。イエス様は、「もしあなたの兄弟が罪を犯したなら、行って2人だけの間で、彼をいさめなさい。」と言われます。この「兄弟」は血縁上の兄弟だけではなく、教会共同体の人のことを指しているようです。私たちは、「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、自分の目に丸太に気づかないのか」(マタイ7・3)とあるように、自分が犯した罪よりも人の罪には敏感です。ただ、きょうの箇所は、罪を指摘し裁くのではなく、その兄弟に対して【いさめなさい】ということです。
「いさめる」という言葉は、「正しい道の在り方を示し、悪い行いをやめさせたり、欠点を改めさせたりする。」(『新明解国語辞典』)という意味です。ですから【いさめる】時は、【裁く】のではなく、相手に対しての【愛】が不可欠になってきます。みことばの、「罪を犯した兄弟」は「迷い出た1匹の羊」であり、「小さい者」のことを表しているのです。おん父は、この兄弟が罪人のまま留まることをお望みではありません。彼が回心して再びご自分の所に戻って来ることを願っておられるのです。
イエス様は、「もし彼があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得ることになる。」と言われます。もちろん、その前でもこの2人は、教会共同体の中の【兄弟】ですが、それだけではなくもっと深い所で結ばれる【兄弟】になるということです。もしかしたら彼は、自分が罪を犯したことに負い目を持ち苦しんでいたのかもしれません。そのような彼に対して、【裁く】のではなく【いさめる】ために足を運んだ人に対して喜びと愛を感じたのではないでしょうか。同じように、いさめに来た彼もその人を放っておくことができなかったのでしょう。
イエス様は、続けて「しかし、もしあなたの言うことを聞き入れなければ、ほかに1人か2人を連れていきなさい。」と言われます。イエス様は、最初は個人的な場で彼をいさめることを勧めます。ただ、どうしても個人的な話し合いで関係がもつれそうな時には、他の兄弟たちの助けを求めるようにと言われます。これは、寄ってたかってその人の罪を断罪しようとすることではありません。裁くのではなく、愛を持ってその人を「いさめる」のです。パウロは「愛は隣人に悪を行いません」(ロマ13・9)と言っていますように、愛があるから隣人をいさめることができるのです。
さらに、「もし彼らの言うことを聞き入れなければ、教会に申し出なさい。」と言われます。イエス様は、個人的な関わりだけではなく、教会共同体全体を巻き込んでその罪を犯した人に対して関わりを持ち、【いさめる】ことを伝えます。教会とはおん父の場ですから、イエス様は、この「迷った羊」のような1人に対しておん父の愛に包まれた【場】に戻るようにと言われているのでしょう。しかし、もし教会の言うことも彼が聞き入れなければ、彼を異邦人か徴税人と同様にみなしなさい、と言われます。同じようなことは「王子の結婚披露宴」を催した王が礼服を着て来なかった人に対して外に追い出す場面がありますし(マタイ22・1〜13参照)や『毒麦の喩え』(マタイ13・41参照)や『網の喩え』(マタイ13・49参照)とあります。
おん父のアガペの愛を持ってしても彼は、頑なにその愛を拒んでいます。それは、おん父との【場】に拠り所を持てない人を意味しています。おん父は、その人を裁いたり見捨てたりしたのはなく、愛を持ってその人を解放されたのです。私たちは、いさめる側にある時も、または、いさめられる側にある時も、おん父の【愛】と【赦し】が働かれるということを信頼と希望、そして謙虚な心を持って歩むことができたらいいですね。
