アルベリオーネ神父もジャッカルドも、“信心さえしていれば、神からの照らしや聖霊の賜物によって、自動的にすべての知識や技術がえられる“とおもってはいない。出版使徒職は一種の文化事業である。これに携わる者には広範な、深い教養が求められるので、当時生涯学習という自助の努力が必要になる。ジャッカルドが入会してからは、その時まで手薄だった若者への授業に弾みがついた。多忙なアルベリオーネ神父を補佐して、ジャッカルドが若者に諸学科を教えだしたからである。しかし、いくら善意があっても、若く経験が浅ければ、説明が枝葉末節にとらわれて、くどくなる嫌いがある。そこで、アルベリオーネ神父から次のように注意された、とジャッカルドは書いている。
敬愛する神父様は、私に、「授業にあたっては、詰め込まないようにしなさい。教えることはわずかしか持っていなくても、上手に教えなさい。そのわずかな教えから十倍の知恵を引き出すようにしなさい」と注意してくださいました。
授業は空いている時間に、空いている場所を、時には食堂や事務所を教室にし、休日なしに毎日行われていた。ジャッカルドは、日記帳の1919年2月5日に続いて同月7日の欄にも、勉強の面でも「主と契約しなさい……」というアルベリオーネ神父の勧めを信用して、次のように書き留めている。この中に『パウロ家の祈り』の「成功の秘訣」の原型が見られる。
神父様は、ご自分がすでになさった契約を、つまり「主との契約」を結びなさい、と私たち全員に勧めました。それは「一を聞いて十を知る」ということです……。良書出版の若者たちは勉強ばかりしてはおれず、仕事もしなければなりません。それでも、出版の使徒になるには、一般の司祭よりもずっと多くのことを習得しなければなりません。出版の働き手一人で八人分をこなさなければなりません。それで、私はあなた方に“「主」と一つの契約を、つまり1時間の勉強で4時間分を習得するという契約を「主」と結びなさい“と勧めます。こうする覚悟のない人、このような信仰のない人は、よそへ行って勉強しなさい。そこでは4時間の勉強で4時間分を習得できるでしょうから。
習得には二つの方法があります。第一の方法は勉強することであり、第二は勉強してから神様に信頼する(注、人事を尽くして天命を待つ)ことです。上智は神様から来ます。神様は一瞬のうちに、多年月の勉強よりずっと多くの上智を私たちに吹き込むことができます。神様は時間や書物に頼りません。もっと神様に頼らなければなりません。救霊についても、仕事を早く、しかも上手に習得することについても、神の栄光だけを目指す学習についても、神様を当てにしなさい。早い人の四倍も習得する勉強について、特に聖性について、神様を当てにしなさい。こうすれば、神様は私たちの努力をそれぞれ十倍にしてくださいます。
ジャッカルドを含めた聖パウロ会の若者たちは、アルベリオーネ神父の勧めに従って、“勉強に力を尽くした後で、不足分をご聖体の師イエスに祈り求める“という信仰により、ぐんぐんと学力を向上させ、これを実生活に生かした。ジャッカルドは、当時の勉強への打ち込み方を、こう書いている。
主よ、いつもあなたに向かって精いっぱい勉強に励むことができたことを感謝します。すべての真理の本源であり、究極であるあなたを見いだすように、と教えてきました。主よ、勉強によってあなたを見いだし、勉強によって信仰を確かなものにできるように導いてください。勉学を実生活に生かすお恵み、肝要なことを学び、これを私たちの宣教使命のために活用するお恵みを与えてください。
・『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』(池田敏雄著)1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し掲載しております。