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これってどんな種?

永遠の命という種 復活節第4主日(ヨハネ10・27〜30)

 以前、羊のショーを見たことがあります。羊たちは、トレーナーの言うことを聞きながら観客を楽しませていました。羊は、本当にそのトレーナーをちゃんと信頼している牧者の声を聞き分けるのだなと思ったことがあります。

 きょうのみことばは、イエス様がご自分の羊である私たちに【永遠の命】をお約束される場面です。ユダヤ人たちは、エルサレムの神殿の回廊を歩いているイエス様を囲んで「いつまでわれわれをじらすのか。あながたメシアなら、はっきりそう言ってくれ」(ヨハネ10・24)と質問します。彼らは、イエス様の教えや奇跡を見た人がイエス様に従って行くのをみて、「もしかしたらイエス様がメシアではないだろうか」と思っていたのでしょう。イエス様は、「わたしは話したが、あなた方は信じない。……しかし、あなた方は信じない。わたしの羊ではないからである」(ヨハネ10・25〜26)と答えられます。きょうのみことばは、イエス様がこのようにユダヤ人たちに答えられた続きが語られています。

 イエス様は、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」と言われます。イエス様は、羊が羊飼いの言うことを聞くという習性をユダヤ人たちが身近に知っていたので、ご自分に【聞き従う羊】と【聞き従わない羊】がいるということを用いられたのでしょう。きょうのみことばの少し前に「わたしは話したが、あなた方は信じない。」と言われます。まず、ここで大切なことは、【信じる】ということでないでしょうか。イエス様は、ご自分が教えや奇跡を通しておん父のことを証ししているのにも関わらず、ユダヤ人たちが【信じない】ことを指摘されています。

 きょうのみことばは「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」という一説から始められています。同じようにこの少し前にも、「彼らは(羊)もわたしの声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。」(ヨハネ10・16)とイエス様は話されます。ここでイエス様の【羊】とそうでない【羊】の違いがはっきりと分かれるようです。まず、イエス様の【羊】はイエス様がメシアであることを【信じ】、そしてイエス様の声を【聞き分ける】ことができるのです。しかし、そうではない羊は、イエス様を信じませんし、聞き分けもしません。

 これは、一つの【識別】と言ってもいいのではないでしょうか。イエス様の羊である私たちは、イエス様が「何を示されているのか、どこに導かれておられるのか、私たちは何をしたらいいのか」と祈りや黙想、時には霊的同伴を通して自分を【識別】をいたします。そこには、イエス様との深い【信頼関係】があり、心から【聞き従う】という強い祈りや願いがあるのではないでしょうか。

 イエス様は、「わたしも彼らを知っており、彼らはわたしに聞き従う」と言われます。イエス様が言われる【知る】という中には、お互いの中に【アガペの愛】で結ばれた関係を意味するほどの【知る】ということのようです。ですからイエス様の羊である私たちは、イエス様の声に心から信頼し【聞き従う】ことができるのです。

 イエス様は「わたしは彼らに永遠の命を与える」と言われます。この【永遠の命】とは、どういう意味なのでしょうか。バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の正面には、ミケランジェロの『最後の審判』が描かれています。そこには、一度亡くなった人たちが天国に引き上げられる人たちと地獄へ行く人たちが描かれています。天国に引き上げられている人たちの明るく幸せそうな表情に対し地獄の人たちの暗く辛い表情がなんとも言えません。ミケランジェロは、『最後の審判』の中で三位一体の神と共に【永遠の命】を得ることの喜びをうまく描いているような気がいたします。

 ただ、【永遠の命】とは、私たちが死んだ後の命という意味でもないのかもしれません。イエス様が言われる【永遠の命】とは私たちが生まれた時からすでに始まっているのではないでしょうか。私たちは、生まれた時にそれぞれおん父から何かの使命をいただきます。それは【召命】と言っても良いでしょう。そして、その【召命】を生き続ける命が【永遠の命】ということではないでしょうか。【永遠の命】とは、私たちがイエス様を【信じ】、【声を聞き分け】ながら私たち一人ひとりに与えられた【召命の道】を歩むことと言っても良いでしょう。

 イエス様は、「わたしの父がわたしにくださったものは、他の何ものにも勝るものであり、誰もそれをわたしの父の手から奪い去ることはできない」と言われます。イエス様は、私たち一人ひとりのことを「他の何ものにも勝るもの」と言われています。その私たちをご自分の手からもおん父の手からも「誰も奪い去ることはできない」と言われます。私たちは、三位一体の神からこれほどの【アガペの愛】を頂いているのです。イエス様は、【善い牧者】として羊である私たち一人ひとりを愛され、導かれ、そして【永遠の命】を与えてくださるお方のです。

 イエス様は、「わたしと父は一つである」と言われます。私たちは、お二人の溢れるほどの【アガペの愛】を頂いて【召命】を生き続ける【永遠の命】を頂いていることに感謝と信頼のうちに歩み続けることが出来たら良いですね。

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