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これってどんな種?

天の国の鍵という種 聖ペトロ 聖パウロ使徒の祭日(マタイ16・13〜19)

 「鍵」という言葉を調べますと「錠の穴にさし入れて開ける金属製の道具」「当面の問題を解く緒(いとぐち)となる手がかり」「物事の成否・展開を左右する、微妙なポイント」(『新明解国語辞典』)とあります。私たちは、生活の中で家の鍵や自動車の鍵と身近な所で【鍵】を使っています。聖書の中では、「権威」という意味でも用いられているようです。私たちは、この「権威としての【鍵】」を使うとき、謙遜さが必要なのかもしれませんね。

 きょうのみことばは、ペトロの信仰告白の場面です。みことばは「さて、フィリポ・カイサリア地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに、『人々は、人の子のことを何者だと言っているか』とお尋ねになった。」という言葉から始まっています。フィリポ・カイサリア地方は、ガリラヤ湖の北に面したところで異邦人が多くいた所です。その中で、イエス様は、ご自分のことを「何者だと言っているのか」と弟子たちに尋ねられます。

 このことは、イエス様ご自身の耳にもいろいろな噂が入ってきていたことと思います。特に、ユダヤ人ではなく異邦人たちがご自分のことをどのように思っているのか、興味があったのかもしれません。弟子たちは、「洗礼者ヨハネだと言う者もあれば、エリアだと言う者もあります。……」と答えます。弟子たちがあげた人々の名前は、メシアが現れるとき、また、終末に現れると言われている人たちでした。人々は、イエス様のことを普通の人ではなく、「預言者の一人」とありますように、何か特別な力を持った人と感じていたのでしょう。

 イエス様は、弟子たちの報告を聞き終わった後、「それでは、あなた方は、わたしを何者だと言うのか」と尋ねられます。イエス様は、人々の噂ではなくご自分と一緒に生活をしている弟子たちがどのように思っているのかを尋ねられます。この質問は、私たち一人ひとりに対しても言われている言葉でもあるのではないでしょうか。私たちは、イエス様がどのような方かを知っていますが、カテキズムに書かれた知識としてのイエス様ではなく、【私】にとってのイエス様とはどのような方なのでしょうか。このことを深く考えてみると、【私】と【イエス様】との関係が見えてくるでしょうし、良い黙想ができることでしょう。

 弟子たちを代表してペトロは「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えます。ペトロは、イエス様のことを「生ける神の子」と答えます。ペトロは、過去の預言者のようではなく、今、実際に生きているお方であることをしっかりと伝え、その後で「【メシア】です」と答えたのでした。

 イエス様は、ペトロの答えを聞かれた後に、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いである。あなたにこのことを示したのは人間ではなく、天におられるわたしの父である。」と言われます。ペトロは、人の噂に左右されるのではなく、彼の心の中に響いたおん父の声を感じ、それを素直に言葉として口に出したのでした。私たちは、自分の心に響くおん父からの声を素直に言葉として出しているでしょうか。どうしても、「自分の見栄」や「私の考え」とか「このようなことを言ったら変に思われるかも」と言う気持ちが出てきて、素直に言葉に出すのをためらってしまうことがあるのではないでしょうか。

 しかし、ペトロは、おん父からの声を素直に感じ言葉にしたのです。イエス様は、そのようなペトロに対して「あなたは幸いである」と言われます。この言葉は、イエス様からの【祝福】と言ってもいいでしょう。イエス様もペトロの答えを望まれていたのかもしれません。イエス様は、私たちがペトロのようにおん父からの声を素直に言葉とした時に、「あなたは幸いである」と言ってくださることでしょう。

 イエス様は、「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペトロである。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てる。陰府の国の門も、これに勝つことはできない。」と言われます。みことばの中で、ペトロのことを「ペトロと呼ばれるシモン」と表されていますが、ここで改めてイエス様は「あなたはペトロ」であると言われ、ペトロを中心とした新しい国【教会】を建てると言われます。さらに、その【教会】は、【陰府の国の門】という死者の場所の堅固な門でさえも教会に勝つことができないと言われているのです。

 イエス様は、「あなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは、すべて天でも解かれる」と言われます。イエス様は、おん父から与えられた「天の国の鍵」を使徒として使命を頂いたペトロに授けます。この【鍵】は、【教会】に与えられた【権威】と言ってもいいでしょう。ですから、教会が【つなぐ(禁じる)】ことは天でも禁じられているし、教会が【解くこと(許す)】ことは、天でも許されると言われているようです。私たちは、【教会】に守られていることを信じ、希望を持って歩むことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 天の国の鍵という種 聖ペトロ 聖パウロ使徒の祭日(マタイ16・13〜19)

  2. 小さな捧げ物という種 キリストの聖体の祭日(ルカ9・11〜51)

  3. 分け与える恵みという種 三位一体の主日(ヨハネ16・12〜15)

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