世間では、映画『プラダを着た悪魔2』が話題になっています。 わたくしもまた、かつてハイブランドに強く惹かれていた時代がありました。全身をブランドで固め、新宿の街へ出かけていったこともあります。当時は今とは違う円高の時代で、大学生でもアルバイト代を貯めれば、憧れの品に手が届いたのです。
もちろん、若さゆえの虚栄もあったでしょう。けれど今振り返ると、あの頃わたしたちは、単に「高い物」を欲していたのではなかったようにも思うのです。 人は何をまとって生きるのか。 何を身につければ、自分という存在を支えられるのか。 その問いを、どこかで探していたのかもしれません。
聖パウロはこう語ります。
「主イエス・キリストを身にまといなさい。」
信仰とは、単に教えを理解することではありません。 それは、ものの考え方だけではなく、まなざしや振る舞い、沈黙や言葉遣いにまで及ぶ、“生き方そのもの”です。
わたしたちは日々、多くのものを身にまとっています。 肩書き、役割、期待、不安、成功体験、あるいは傷ついた記憶。けれど「キリストを身にまとう」という言葉は、何かを足すこと以上に、何を脱ぎ、何を残して生きるのかを問いかけてきます。
興味深いことに、本当に成熟したラグジュアリーは、単なる誇示へとは向かいません。むしろ削ぎ落とされ、静かになっていきます。ロゴを叫ぶのではなく、長い時間に耐えた思想や気配が、静かに滲み出てくるのです。
それはどこか、福音の世界にも似ています。 キリスト者とは、宗教性を声高に示す人ではなく、誰をまとって生きているかが、いつしか滲み出てくる人なのかもしれません。
この5月6月は、ラグジュアリー・ブランドの世界を一つの比喩として用いながら、「キリストを身にまとう」とはどういうことなのかを、皆さまと共に黙想していきたいと思います。それでは、見える服から見えざる神を探す旅へと出かけましょう。(大西徳明)
配信予告
第1回「プラダ/ナイロン ——『未完』の神学」
プラダの無機質なナイロン素材を通して、「すぐには意味の分からない時間」とどう向き合うかを黙想します。人生の理不尽さや、答えの出ない祈りの中にある“神の沈黙”を、無理に説明せず、そのまま抱えて生きることの大切さを見つめます。
第2回「ヴィトン/モノグラム ——『同行』の神学」
旅と傷に耐えるヴィトンの鞄を通して、「神は完璧な人と歩くのではなく、傷だらけの人生に寄り添われる」という福音の核心を味わいます。失敗や過去を抱えたままでも、なお共にいてくださる神のまなざしに光を当てます。
第3回「シャネル/スーツ ——『復元力』の神学」
シャネルのジャケットに隠されたチェーンを手がかりに、「乱れても戻る力」について考えます。心が崩れたり、自分を見失ったりしても、神の愛や祈りの習慣が、私たちを静かに本来の場所へ引き戻してくれる——そんな“しなやかな信仰”を描きます。
第4回「エルメス/ロゴ ——『不在』の神学」
主人の描かれていないエルメスのロゴを通して、「見えない神」について黙想します。神が沈黙しているように感じる時、それは見捨てられたのではなく、むしろ“信頼されている”のかもしれない——そんな視点から、人生の沈黙を見つめ直します。
第5回「マルジェラ/タグ(ラベル) ——『名を消す』神学」
ブランド名を隠したマルジェラの服から、「肩書きや役割を失ったあとに残る自分」を考えます。何者かであろうと頑張り続ける日々の中で、“ただ存在していること”そのものを神が愛しておられるという、深い自由へと読者を招きます。
第6回「ディオール/香水 ——『見えない臨在』の神学」
香りという“目には見えない存在感”を通して、神の気配や聖霊の働きを味わいます。言葉にならない優しさや、ふと心に残る平安のように、神は今日も静かに私たちの人生に漂っておられる——そんな希望に包まれながら、このシリーズを締めくくります。
大西徳明。カトリック司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

