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みことばの響き

サマリア人 年間第15主日(ルカ10・25~37)

 福音書の中で、三人の立場が登場します。祭司、レビ人、サマリア人。祭司はエルサレムの神殿で宗教儀式を司る者で、神と人との仲介者のような役割でした。レビ人は神殿で奉仕にあたる立場で、祭司よりも低い階級でしたが、神と人とを結び合わせる大切な役割を演じています。それに対して「サマリア人」は、シラ50・26に出てくるように「シケムに住む愚かな民」と軽蔑されていました。そもそもサマリアは、北王国イスラエルの王オムリ(紀元前9世紀・王上16・23~28)が購入した町で、紀元前4世紀にはサマリアのゲリジム山に神殿が建てられて以来、エルサレムとの宗教的対立を深めます。紀元前1世紀には独自の聖書、典礼を持ち、エルサレム神殿と決別します。その意味でもサマリアのゲリジム山とエルサレムのシオン山の神殿とは、ライバル関係と言えるでしょう。

 そんな状況を念頭において、今日の福音を読んでいくとよく分かります。祭司、レビ人はたまたまケガを負っている人(おそらくユダヤ人)の傍を通りました。時間的にはゆとりがあった立場です。祭司とレビ人(神殿で祭司の補助者)は、律法を守る人々のよい模範と自負する人々です。それに対してサマリア人は、「旅」というちゃんとした目的があり、その予定を変更してまでもケガを負った人に手を差し伸べています。彼は油とぶどう酒を注ぎ、傷を癒し、自分のロバに乗せます。傷をぶどう酒で洗い、「油」(すなわち原語のオリーブ油)を注ぐのは当時の治療法でした。サマリア人は、時間もお金のことも考えないでケガした人に向き合います。勇気を持った行動ではないでしょうか。

 最後にイエスのことばは重要です。「行って、あなたも同じようにしなさい」。他人にしてもらうのではなく、まず自分自身がそうした心境を持つように考えさせてくれることばです。今のわたしは、そのような温もりを持っているでしょうか。

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