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みことばの響き

無関心 年間第26主日(ルカ16・19~31)

 金持ちが着ていた紫の衣と麻布。「紫」は日本において天皇家が使う高貴な色であるように、聖書の中でも崇高で、古代から最も尊ばれた色です。王室、権力、富裕をイメージする色。「麻布」は、高級な衣服を指し、バビロン交易のぜいたくな品でした。紫の衣と麻布を身にまとっていることから金持ちの生活レベルが想像できるのではないでしょうか。

 それに対してラザロはできものだらけで、食卓から落ちるもので腹を満たしていました。さらに犬がやってきて、できものをなめています。当時、軽蔑された動物の犬になめられるほど、ラザロは貧しさの極みに生きた人です。ラザロのことを「貧しい人」と表現していますが、「貧しい」には「プトーコス」が使われ、支配階級に虐げられて苦しむ貧しい人に使われる用語です。もともとラザロは平和に暮らしていたのでしょうが、政治的、社会的圧力で犠牲になった人と言ってもよいでしょう。

 やがて二人とも亡くなります。金持ちは陰府の世界へ、ラザロは天の国に導かれ、まったく雲泥の差を体験します。金持ちは陰府でさいなまれながら父アブラハムに懇願しますが、聞き入れてはもらえません。裁きの厳しさではないでしょうか。この二人の中で注目したいのは、生前、金持ちがラザロにどれだけ心を留めていたかということでしょう。ラザロは「金持ちの門前に」いたと言います。金持ちがちょっと気をつければ、目に入ったのでしょうが、全く気に留める様子はありませんでした。まさにラザロに対して「無関心」であったということです。

 現代社会でも「無関心」がはびこっています。それは金持ちとラザロの状況によく似ているのではないでしょうか。今日のみことばから、他者に対してどんな関心を示しているかを考えてみたいものです。

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