修道会では年に1度「年の黙想」を決められた日数行います。今回、私も与ったのですが、その中で指導司祭から「この黙想の間、すべてのものから解放され、自分を知ること、自分の内面に巣くっているネガティブさを認識してください」と言われて、ボナヴェントゥラの手記から「第一に必要なことは自分自身から始めることです。そうしてこそ、すべての外面的なことを忘れて、自分自身の良心の秘め隠されているところに入り込み、そこで自分のあらゆる欠点、あらゆる習慣、あらゆる性向、あらゆる行為、過去と現在のあらゆる罪を細心の注意を払って考察することでこじ開け、吟味し、追求することになります。」(『生命の完成』)と読んでくださいました。この手記は、さらに続くのですが、私自身を見つめ直すとても良いヒントが書いてあって、「私のありのままの姿、隠したい姿がある」ということを改めて気付かされました。
きょうのみことばは、「ファリサイ派の人と徴税人の祈りの姿」の喩えをイエス様が人々に語られる場面です。きょうのみことばの前では、弟子たちに不正な裁判官とやもめの喩えを用いながら、「倦むことなく、絶えず祈る」ことを教えられています。そして、きょうのみことばは「祈る姿勢」を教えてくださっているようです。みことばは「自分を正しい人間であると思い込み、ほかの人をさげすむ人々に、イエスは喩えを語られた」という箇所から始まっています。
この場面は、イエス様がエルサレムへの旅について来た人たちに向かって話されています。その中には、みことばにあるように「自分を正しい人間であると思い込み、ほかの人をさげすむ人々」がいたのでしょう。みことばは「ほかの人をさげすむ【人々】」とありますから、複数の人がいたようです。イエス様の後をついて来た人たちは、喩えの中にあるようなファリサイ派の人々や徴税人、イエス様から癒やされた人や教えに賛同した人などがいたことでしょう。彼らは、善意でついて来ていますし、誰も人をさげすんでいる、と思っている人はいなかったのではないでしょうか。それでも、イエス様の目には、「ほかの人をさげすむ人々」がいたのです。
イエス様は、「2人の人が祈るために神殿に上った。1人はファリサイ派の人で、もう1人は徴税人であった。」と喩えを話し始められます。ファリサイ派の人は、律法をさらに様々なことを付け加えて厳守し、宗教的な生活を送っていて周りからも義人とされていたようです。一方、徴税人は、税金を徴収する中で正規の額に上乗せした分を自分の取り分のしていたため、周りから罪人とされていたようです。イエス様は、この対照的な2人が神殿に上って来て祈るという喩えを話し始めます。
人々は、イエス様の話に耳を傾けながらいったいどのような展開になるのだろうと興味深く聞いていたことでしょう。彼らにとってこの2人は、身近に感じていたことでしょうし、「自分はファリサイ派の人の方に違いない」と思った人もいたかもしれません。イエス様は、「ファリサイ派の人は胸を張って立ち、心の中でこう祈った、『神よ、わたしがほかの人たちのように、略奪する者でもなく、……またこの徴税人のような者でもないことを、感謝します。』」と話されます。ファリサイ派の人は、自分が他の人たちと違って【善人】であることを【感謝します】という祈りから始めます。彼は、「またこの徴税人のような」と祈っていることは、徴税人の存在に気づいていたのです。彼にとって神殿は、自分たちのような【善人】と呼ばれる人が祈る場所であって、【罪人】が祈る場所ではない、と思っていたのかもしれません。彼は、自分では正しい祈りをしていると思いながら、【人を裁く祈り】を意識することなく祈っていたのです。
一方、徴税人は、「遠くに立って目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った『神よ、罪人であるわたしを憐れんでください。』」と祈ります。ファリサイ派の人は、「胸を張って」祈っているのに対して、徴税人は胸を張るどころか、「胸を打ちながら」祈り始めます。この「胸を打つ」というのは、「回心」する表れのようです。徴税人にとって、神殿は自分の罪をおん父に悔い、憐れみを乞う所でした。
イエス様は、「あなた方に言っておく。義とされて家に帰ったのは徴税人であって、ファリサイ派の人ではない。誰でも自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる」と言われます。イエス様は、徴税人が自分の心の奥深くまで見つめ罪深い自分の嫌な部分をありのままおん父に捧げた祈りを義とされたと言われているのではないでしょうか。イエス様は、喩えの中で「自分は正しい」と思っている人は、どうしても「自分の力を頼ってしまう危険性」があり、「自分は罪人」だと思っている人は、「神に頼るしかない」と思わざるを得ないということ伝えているのではないでしょうか。私たちは、きょうのみことばを黙想しながら【私の祈りの姿勢】を深く見つめることができたらいいですね。
