「ふさわしい」という意味は、「条件や立場によく合っているさまを表す形容詞です。人・人物・行動などが、その場面に合っているときに使います。」(AIより)とあります。また、漢字で書きますと「『相』と『応』しい」となります。このように見ていきますと、自分1人ではなく、自分以外の人や場面に「応える」ことが必要になってきます。洗礼の恵みをいただいている私たちは、やはり、おん父の愛に対して、【応える】というのが最も【ふさわしい生活】と言えるのかもしれませんね。
きょうのみことばは、「王子の結婚披露宴」の譬え話です。みことばは、「また、イエスは、彼らに語られた。」と始まっています。この「彼ら」というのは、これまでの譬え話と同じように、民の指導者である祭司長やファリサイ派の人々や律法学者たちのようです。イエス様は、これでもか、というように何度も彼らに対して譬え話を用いながら回心を促します。それは、彼らが自分たちの傲慢さに気づき、おん父への道に戻ってほしいためでした。このことは彼らに対してのおん父の愛と言ってもいいでしょう。
イエス様は「天の国は次のように喩えられる。」と始められます。これは、おん父を中心とした神の国であり、教会と言ってもいいでしょう。ある王が王子のために結婚披露宴を催し、披露宴に招いた人々を僕に迎えに行かせます。しかし、その人たちは王の招きに対して来ようとしませんでした。そこで、王は重ねてほかの僕たちを遣わします。今度は、前と違って主人は僕たちに「宴の用意が整いました。牛や肥えた家畜も屠って、すべての用意が整いました。さあ、披露宴においでください」と言わせます。この言葉の主語は、【王】となりますので、王が自ら宴の用意をし、最高の料理を作って招待客をもてなされるのです。
にもかかわらず、招いた人は、それらを「無視して畑に行く者」「商売に出かける者」、さらに「僕たちを捕まえて辱め、殺してしまう者」もいたのです。彼らにとって、王子の披露宴よりも日々の仕事が大切だったのです。もしかしたら、日常の多忙に追われている私たちも反省しなければならないかもしれません。私たちは、「今、私の心に響いているおん父の招きの声は、何なのでしょうか。」と心を沈めて振り返りの時を持つのもいいのかもしれません。
王が招待者に送った【僕】はこれまでの譬え話のように旧約の「預言者」や、新約における「使徒たち」のようです。前のぶどう園の譬え話と同じように、僕たちは、人々から酷い目にあわせられます。このことは、彼らが受ける迫害を表しているようです。
王は、怒って「僕」ではなく、「軍隊」を送って彼らを滅ぼし、町を焼き払ってしまいます。この喩えの「王」はおん父のことを指しているようです。おん父は、ご自分の国へ人々をどうしても招きたちという気持ちはあったのです。そのため、王であるおん父は、前のぶどう園の喩えのように、人々に対して最高のもてなしをご準備なさっておられるのです。にもかかわらず、人々はそれを無視するだけではなく、僕たちを殺してしまったのです。おん父は、軍隊を送って彼らを滅ぼしたのは、ご自分が催した「披露宴」である「天の国」の敵となる人々に対しての厳しい裁きと言ってもいいでしょう。
王は、「披露宴の用意は整っているのに、招待者たちはふさわしい者ではなかった。……」と言います。王は、改めにご自分が催した【披露宴(天の国)】の準備が整っていることを伝えた後、「招待者は【ふさわしい者】ではなかった」と言われます。ここまで、王に言わせた彼らは、王の宴の価値をわからない人、自分中心な人、自分の能力だけで十分な人、王(おん父)助けなしに生きていけると思っている人たちでした。
王は、さらに続けて「だから、大通りに行って、誰でもよいから、出会う人を披露宴に招きなさい」と僕たちを送ります。この「誰でもいいから」というのは、一般の人々のことを指しているだけではなく、王であるおん父の寛大さを示しているのではないでしょうか。次のみことばには「悪人であれ善人であれ、出会う人をみな集めてきた」とあります。彼らは、おん父が催す【披露宴】の素晴らしさを分かっていましたし、望んでいた人だったのです。彼らは、前の招待者たちと違い、僕である弟子たちの声を聞き、自分たちの弱さを認め、おん父の恵みなしに生きていけない人と認めた上で、招きに従って来た人たちだったのです。
しかし、その客の中に「婚礼の礼服をつけてない者」がいました。王は彼に「友よ、どうして……」と尋ねますが、彼は、何も答えませんでした。ある意味、この人も「披露宴にふさわしい者」ではなかったのです。王は、給仕たちに「この男の手足を縛って、外の闇に放り出せ」と言われます。パウロは、「ふさわしくない状態で『主のパン』を食べたり、『主の杯』を飲む人があれば、主の体と血に対して罪を犯し者となるのです」(1コリント11・27)と言っています。私たちは、おん父が催す「天の国である【披露宴】」に招かれるに【ふさわしい者】として歩むことができたらいいですね。
