ラビたちの計算によると、律法には613の掟があったと言います。そのうち248(人体の骨の数)は命令「しなければならない」、365(一年の日数)は禁止「してはならない」の内容とされ、どれがもっとも重要かはしばしば論じられてきました。確かに613もあると、いったいどれを優先してよいか戸惑うのも分かります。律法はすべて神の意志の表現であるので、そこに人間の優劣をつけることはできないと語るラビもいるほどでした。イエスは律法学者の質問に対して、申命記6・5の「神への愛」とレビ19・18の「隣人への愛」を引用しながら答えていきます。
こうした背景の中でイエスは、第一の掟が、「神である主を愛する」こと、第二の掟が「隣人を自分のように愛する」と語ります。
「隣人」とはどんな意味だろうと思って『国語辞典』を調べてみると、「隣近所の人」と記されています。居住空間での隣近所もあれば、国際的な場での隣近所もあります。隣にいるために、仲が良い時もあれば、仲が悪い時もあります。国際的な場では、けっこう隣近所は領土問題などでギクシャクしているケースも多々あります。一番近いだけに、種々の面が見えてくるのでしょう。
「隣人」をギリシア語では「プレシオン」で表現します。これは「もっとも近い人」を意味しています。隣近所だけでなく、家庭の中での夫婦、兄弟姉妹、修道院の中での会員同士はまさに「もっとも近い人」になるでしょう。そういう近い人がなかなかうまくいかなったりもします。
「隣人」という時、単に「隣にいる人」というだけではなく、私にとって一番身近な人を大切にしていきたいものです。
