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みことばの響き

聖霊が鳩のような姿で 主の洗礼(ルカ3・15~16、21~22)

 聖霊をイメージするのに、よく鳩が描かれたりします。私たちのイメージではどのようなものでしょうか。毎年、8月6日には広島で、8月9日には長崎の平和公園で平和式典が行われます。平和の意味も込めて、式典の中で鳩が放たれます。またオリンピックの開会式では、風船を飛ばしたりもしますが、鳩を飛ばす時もあります。それは平和のシンボルを表したものでしょう。

 またノアの洪水の場面では、水が引いたかを確かめるために、最初にカラスを放ちますが帰ってきませんでした。次に鳩を放つと(創8・8)、口ばしに小枝をくわえて帰ってきます。このように、鳩には平和や忠実なものとしてのイメージを想像することができます。

 それに対して、駅の構内では鳩が糞をしたりして、ホームなどを汚したりもします。その場合だと決して嬉しいものではありません。また中国大陸では、鳩は悪い鳥の代表的なものになっています。なぜなら、鳩がすばしこく、種まきしたばかりの畑に入って、荒らすことから、悪いものとしてとらえられています。聖書の中でも、「鳩のようにうめく」(イザ38・14、59・11)や「知恵のない愚かな鳩のようだ」(ホセ7・11)という箇所もあります。「鳩」でも両方の意味が含まれています。

 今日の箇所では、「聖霊が鳩のような目に見える姿でイエスの上に降り」(ルカ3・22)とあります。これは積極的な面での表現になるでしょう。こうしてイエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けていきます。まさに聖霊に満たされた時でした。この他にも、聖霊の恵みを受ける場面として「神のお告げ」「聖霊降臨」などを思い起こします。いろいろな場面で、聖霊の豊かさが感じられます。

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