きょうの典礼は「主の昇天」を祝う日です。ミサの時に司祭が唱える「集会祈願」には、「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、ともに永遠のいのちに入らせてください。」とあります。昇天という文字は、「天」に「昇る」とありますから、イエス様が、「おん父がおられる天の国に帰られる」という感じを受けてしまします。それだけではなく、「主の昇天」は、イエス様が私たちを天のおん父の所に導かれるために、私たちの身近なところにおられ助けてくださるとも言えるのではないでしょうか。私たちは、イエス様がいつまでもともにおられ、私たちをおん父の所に導いてくださることに信頼と希望を持って日々の生活を歩むことができたらいいですね。
きょうのみことばは、復活されたイエス様がガリラヤで11人の弟子たちと出会う場面です。マタイ福音書では、他の福音書のようにイエス様がエマオへ向かう弟子たちと出会ったり、ガリラヤ湖畔で食事をしたり、弟子たちがいる家に現れたりなどは記されていません。マタイ福音書では、イエス様がマグダラのマリアともう一人のマリアに会われ「わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように告げ知らせなさい。そこでわたしに会える」(マタイ28・10)と記された後に、他の弟子たちにご自分をガリラヤで会われる場面へと展開しています。私たちは、どうしても復活されたイエス様が何度か弟子たちに現れる場面を思い浮かべますが、マタイ福音書ではその部分を省いているのです。もしかしたら、マタイ福音書では、弟子たちの派遣を緊急性を大切にしていたのかもしれません。
弟子たちは、婦人たちから告げられたようにエルサレムからガリラヤへと向かいます。彼らは、ガリラヤへ向かう道々どのようなことを思いながら数日間を過ごしたのでしょう。みことばには、何も書かれていませんが、喜んで歩いたでしょうか、それとも、イエス様を見捨てて逃げてしまった自分たちを責めながら向かったのでしょうか、または、本当にイエス様が復活されたのだろうかと疑いながら向かったのでしょうか。きょうのみことばを味わう前に、この弟子たちの気持ちを黙想してみるのもいいのかもしれません。
弟子たちは、ガリラヤへ着きイエス様がお示しになった山に行きます。この山は、どこ山とは分かりませんが、弟子たちにとってイエス様との思い出深い山だったのでしょう。弟子たちは、復活されたイエス様と出会い、伏し拝みます。そこには、今までのイエス様とは違った神々しい神秘に満ちたお姿があったのではないでしょうか。もしかしたら、イエス様のお姿は、主の変容の場面のように、顔が太陽のように輝き、衣が光のように白く光っていたのかもしれません(マタイ17・2参照)。弟子たちはイエス様のお姿を見て、自ずと【伏し拝む】という気持ちになったのでしょう。ただ、すべての弟子たちがこのお姿を見てイエス様が復活されたと信じられずに疑った人もいたのようです。きっとその光景を受け入れることができなかったのかもしれません。
イエス様は、弟子たちに近づかれます。復活されたイエス様は、弟子たちに会われてきっと嬉しかったのでしょう。早く会いたくてしようがなかったのかもしれません。イエス様は、たとえご自分が復活したことを疑っている弟子がいたとしても、それでも嬉しくて近づかれたのです。弟子たちは、自分たちの方に近づかれるイエス様を見て、自分たちが逃げてしまったこと、裏切ったことを赦されたと感じたのではないでしょうか。
イエス様は、「わたしには天においても地においても、すべての権能が与えられている。」と言われます。イエス様は、弟子たちと生活されていた時に行われた奇跡は、ご自分を通しておん父からの業をおこなわれていました。弟子たちや他の人たちは、その奇跡を受けて驚きとともに感謝と喜びを感じたことでしょう。しかし、復活されたイエス様は、地上だけでなく、天においても【権能】が与えられたのです。復活されたイエス様は、もちろんおん父との交わりもありますが、もっと直接的にご自分の業をすることができるようになったのです。
イエス様は、「それ故、あなた方は行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け、わたしがあなた方に命じたことを、すべて守るように教えなさい。」と言われます。イエス様は、ご自分の【権能】を使われ、ご自分が弟子たちとともに人々を教え、奇跡を行ったことを今度は、弟子たちが行うように命じられます。このことは、今の私たちへの言葉でもあるのです。
イエス様は、「わたしは代の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」と言われます。イエス様は、ご自分が昇天されても私たちとともにおられることをお約束されます。イエス様は、今、この瞬間も私たちとともにおられ、私たちをおん父の所に導かれておられるのです。私たちは、イエス様からの「すべての人々を弟子にする」という使命を、ともにおられるイエス様と一緒に果たしていくことができたらいいですね。

