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これってどんな種?

信じる者という種 復活節第5主日(ヨハネ14・1〜12)

 私たちにとって「信者」という言葉は、とても身近なものです。この「信者」という言葉は「その宗派の宗旨を信仰する人」(『新明解国語辞典』)という意味です。私たちは、イエス・キリストを「信仰」するということで「キリスト信者」です。さらに、「信者」は、「信じる」と「者」と分けることができますが、私たちはイエス様を「信じる者」ということになります。改めて私たちは、イエス様を「信じる者」であることを振り返ってみるのもいいかもしれません。

 きょうのみことばは、イエス様がご自分の死を前にした「最後の晩餐」で弟子たちに対して話された『告別説教』と言われる場面です。きょうのみことばは、イエス様が弟子たちに「わたしの行く所に、あなたは、今はついて来ることができないが、後でついて来ることになる」(ヨハネ13・36)と言われた後の場面となります。

 きょうのみことばはイエス様が「心を騒がせてはならない」と言われるところからはじまっています。弟子たちは、メシアとして、師として仰いでいたイエス様が自分たちの前からいなくなると聞き動揺します。この「心を騒がせる」というのは、「安心していたものが、土台から崩れて慌てふためく様子」ということのようです。イエス様は、そのような弟子たちの様子をご覧になったので、「心を騒がせてはならない」と言われて彼らを落ち着かせます。

 続けてイエス様は、「あなた方は神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言われます。イエス様は、別れを悲しんでいる弟子たちに【信じること】の大切さを教えられます。このイエス様の言葉は、私たちが失望して目の前が真っ暗になった心に【希望】を与えてくれるのではないでしょうか。私たちは、失望にしたり、乗り越えられないような壁にぶつかったりした時に、どうしても「周りが見えなくなり、自分の力に頼るか、逆に閉じこもって」しまいます。そのような時にこのイエス様の言葉を思い出すことができたらいいですね。

 イエス様は、「わたしの父の家には、住むところがたくさんある。……わたしのいる所に、あなた方もいるようになるためである。」と言われます。この「わたしの父の家」というのは、「天の国」ということで、私たちが亡くなった後のいくおん父との永遠の宴の場所のようです。イエス様は、ご自分の所に集ってきた弟子たちと一緒におん父の場所で一緒にお住みになりたいのです。もちろんこのことは、私たち一人ひとりに対しても言われているのです。

 イエス様は「わたしがどこに行くのか、その道をあなた方は知っている」と言われます。この言葉を聞いたトマスは、「……どうすればその道を知ることができるでしょう」と尋ねます。トマスは、イエス様がどこかの道を通っていなくなるのだったら、その道を教えてくださいと尋ねたのです。イエス様は、トマスの質問に答えて「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない。」と言われます。イエス様は、弟子たちが考えているような「道路」としての「道」ではなく、もっと深い「霊的な道」「信仰の道」ということを伝えられておられます。

 イエス様は、私たちをおん父へと向かわせる【道】であります。私たちは、【キリスト信者】として日々の生活を通して、この【道】を歩まなければならないのです。私たちは、この【道】を通ることによって、【真理】であるイエス様からの恵みがあり、永遠の【命】である「義の冠」(2テモテ4・8)を得ることができるのです。

 イエス様が「……すでに父を見たのである。」と言われた言葉に対して、今度はフィリポが「主よ、わたしたちにも御父をお見せください。それで十分です」と言います。イエス様は彼に対して「……わたしが父のうちにおり、父がわたしのうちにおられることを、あなたは信じないのか。わたしがあなた方にいう言葉は、自分勝手に語っているのではない。わたしのうちにおられる父がご自分の業を行っておられるのである。」と言われます。イエス様は、弟子たちにご自分とおん父が【一体】(ヨハネ10・30)であることを伝えられ、ご自分が語られた言葉、教え、さらに【業】であるさまざまな【奇跡】は、ご自分を通しておん父がなさったことであると伝えられます。

 イエス様は「……わたしが言うのを信じなさい。それができないなら、業そのものを信じなさい。」と言われます。私たちは「信じる」時にどうしても「頭での理解」に頼ってしまいます。ですからイエス様は、「体験」から来る【業】を信じなさい、と私たちに伝えられたのです。イエス様は「……わたしを信じる者は、わたしの行っている業を行い、また、それ以上の業を行うであろう。わたしが父のもとに行くからである。」と言われます。

 イエス様は、私たちが「信じる」ことで、ご自分がおん父と共に私たちの【業】を祝福され、さらに素晴らしい【業】を行うことをお約束されます。私たちは、「キリスト信者」として、日々の生活の中でイエス様の【道】を歩み、イエス様が示された【業】を信頼のうちに行なっていくことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

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