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カトリック入門

【カトリック入門】第102回 アルベリオーネ神父の生涯【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

 アルベリオーネ神父は、1884年4月4日、北イタリアのクネオ県アルバに近いサン・ロレンツォ・ディ・フォッサーノに生まれました。一度訪れたことがありますが、のどかな風景が広がるところです。今のようにきれいに整備されていませんでした。彼の家庭はとても貧しい家でしたが、両親は信仰があつく、働き者でした。誕生の翌日には、家からかなり離れたサン・ロレンツォ教会で洗礼を受けています。
 アルベリオーネが小学生(6歳)の時です。担任のカルドーナ先生が生徒一人ひとりの「将来、何になりたいか」を尋ねます。彼は「僕は司祭になります」と答え、これが最初のはっきりとした光になりました。
 やがて12歳の時(1896年の10月)、ブラの神学校に入ります。しかし、1900年の春にこの神学校を退学します。それは仲間のだれかが教室の下から回した何冊かの本が原因だったと後に回想しています。悪い出版物による出来事で神学校を退学しましたが、これは将来の良い出版物による宣教へと変えられていくということで摂理的なのかもしれません。退学した後、しばらく自分の家で農家の手伝いをします。
1900年10月、今度はアルバの神学校に入学します。ここで理想的な指導司祭フランチェスコ・キエザ神父に出会います。彼との出会いは、将来の歩みを大きく左右するものでした。
 1900年12月31日の夜、聖年の閉幕にあたりアルバのカテドラルで4時間の聖体礼拝を行います。新しい世紀の人々のために、新しい手段を用いて「教会に奉仕する義務」を深く感じます。この体験は、パウロ家族が「聖体、聖櫃から」生まれていく支えにもなります。
 この当時は、レオ13世教皇でした。レオ13世教皇は、「タメトゥシ・フトゥーラ」という霊的な文書や「レールム・ノヴァールム」という回勅を出します。当時は労働者の待遇がとても低下していましたので、その改善を考慮した文書です。その意味でこの教皇様は霊的・社会的に非常に示唆に富んだ方と言えるでしょう。
 アルベリオーネは1907年に司祭に叙階され、聖ベルナルド教会の助任司祭を務めます。その時に、将来のアルベリオーネ神父にとっての右腕とも言えるティモテオ・ジャッカルドに出会います。後に彼は福者になりました。とても物静かな人で、創立者のために献身的に働いた人です。
 アルベリオーネはやがて、アルバの神学校の教授になりましたが、技術者やセールスマンからなるカトリックの組織を作ろうとします。しかし、1910年には、教会のためにささげる修道者・修道女でなければならないと考えます。
 1914年8月20日、神と教会に従うために聖パウロ修道会を創立します。当初は「小さい労働者印刷学校」という形で発足しました。この日は、ピオ十世教皇が亡くなって日でもあります。沈黙と謙遜のうちに、「常に馬小屋から始める」が彼のモットーでした。
 また女性の役割をとても重視し、1915年にテクラ・メルロとともに聖パウロ女子修道会を創立します。1917年には信徒の役割を痛感し、「聖パウロ協力者会」をつくりました。とても画期的なことです。
 1923年7月、アルベリオーネは肺結核の大病を患います。余命1年半と診断され、死を覚悟します。奇跡的に治癒し、「聖パウロが私を治してくれた」と思いました。この時期から師イエスからの啓示「恐れるな、わたしはあなたたちとともにいる。わたしはここから照らそうと望む。罪を痛悔せよ」という言葉をパウロ家族の各聖堂に記します。
 1924年、聖体、司祭、典礼の使徒職のために師イエズス修道女会を創立します。
アルベリオーネ神父は、1926年にローマに修道院を設立しますが、最初の院長はとても謙虚であったティモテオ・ジャッカルド神父でした。このころパウロ家族の霊性の基盤である「道・真理・いのちである師イエス」「使徒の女王聖マリア」「使徒聖パウロ」への信心を高めていきます。1936年7月、アルベリオーネはローマへ異動し、そこに総本部を設置します。それは聖座に奉仕するためでもありました。
 1938年10月には、教区司祭を助け、司牧の使徒職に従事する「よい牧者イエスの修道女会」を創立します。1957年には、あらゆる召命のために働く「使徒の女王修道女会」を創立。さらに在俗会として大天使聖ガブリエル会、聖マリア・アンヌンチアータ会、司祭であるイエス会、聖家族会をそれぞれ創立します。これらすべての会は、神の意志によって創立されたパウロ家族の大木とも言えるものです。
 1971年11月26日、アルベリオーネ神父は87歳で天国に召されました。亡くなる30分前に教皇パウロ六世の訪問を受けています。亡くなる直前に教皇様の訪問を受けるのは異例のことです。もっともパウロ六世教皇は、ミラノの大司教時代からアルベリオーネのことを理解してくれた人でした。

<霊性>
 さてアルベリオーネはイエスを全体として捉え、最終的には「道・真理・いのちである師イエス・キリスト」と表現します。人は知性・意志・心・体全体を通してキリストを生きれば生きるほど、聖なる人になり、「もう一人のキリストを形づくることになる」と考えました。
 アルベリオーネは、マリアを「使徒の女王」と表現しました。マリアこそ使徒の使命を最高に果たした方であり、道・真理・いのちであるキリスト全体を世界に与えた方と考えました。マリアはイエスを前面に差し出しています。幼子イエスの左手には聖書、右手は3本の指を差し出しています。「道・真理・いのち」というパウロ家族の霊性の原点です。
 アルベリオーネ神父にとって、聖パウロは「イエス・キリスト全体を捉え、イエス・キリスト全体を生きた」偉大な模範です。聖パウロのように私たちもキリストを生き、キリストを与える使命を持っています。
 アルベリオーネ神父は、世界に福音をもたらすために、もっとも効果的な手段を使いました。彼は印刷機、スクリーンなどを「説教壇」と呼び、印刷工場、制作室を「聖堂」と表現しました。
師イエス・キリストを多くに人に伝えるために、現代的な手段を積極的に活用したのです。師イエス・キリストを生き、与えることがパウロ家族の使命です。

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