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みことばの響き

賛美と感謝 キリストの聖体(ルカ9・11b~17)

 食卓を彩る「刺身」。たいていの人は好きですが、たまに嫌いな人がいます。その理由を聞いてみると、「子どもの頃に海で育ち、毎日うんざりするくらい魚を食べていたので、刺身はもう食べなくてもいいくらい……」という意見でした。「刺身」が食卓を彩ったとしても、人によって受け止めかたがずいぶん違うものです。

 イエスはカファルナウムに近いベトサイダという所へ行かれますが、そこに大勢の人たちが集まってきます。男が五千人ほどいたと言います。相当な数です。夕方になり、彼らを家に戻すわけにはいかず、弟子たちは何とかして食事を調達したいと考えます。しかし、手元にあるのは五つのパンと二匹の魚。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」(ルカ9・13)と弟子たちは不安を感じます。「しか」というのは、明らかに不足していて、どうしようもないような雰囲気が感じられる言葉です。ところが、イエスは「天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、弟子たちに渡しては群衆に配らせました」(ルカ9・16)。弟子たちはこれだけしかないと不足を訴えますが、イエスはむしろ手元にあるものに賛美と感謝を行っています。同じことでも二つの立場に分かれています。私たちだったらどちらの気持ちを持つでしょうか。不足した気持ちでしょうか、それとも感謝に満ちた賛美でしょうか。

 聖変化の中で「これは私のからだである」「これは私の血である」ということばを何度となく唱えます。司祭のことばを通して、キリストのからだと血に変えられていく偉大な恵みの瞬間です。

 毎日、世界のどこかでささげられているミサ。さて今日のミサでは、何か不足を感じた時でしたか、それとも賛美と感謝に満ちた時でしたか。

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