ミサの『集会祈願』の中に「キリストに従うわたしたちが、まことの豊かさを知ることができますように」という祈りがあります。イエス様も弟子たちも、決して金銭的に裕福ではありませんでした。しかし、物質的な貧しさに優った豊かさを持っていました。私たちは、今の世にあって本当の【豊かさ】とは何かを見出せることができたらいいですね。
きょうのみことばは「不正な管理人」と「忠実であること」ということをイエス様が弟子たちに話されている場面です。イエス様は、おん父の憐れみを話された後、今度は【富】について話されます。イエス様の喩えは、金持ちの一人の管理人について話されます。この管理人は、主人の財産を使い込んでいたようです。その事を他の使用人から主人に告げ口され自分の職がなくなるという危機にあわされることになります。この人は、主人から「管理人」を任されるほどの人だったということは、真面目で頭がいい人だったのでしょう。しかし、管理の仕事をする中で徐々に金銭的な感覚を失い、「自分のための金」を貯めようと思うようになったのではないでしょうか。
初めは良心の呵責があったかもしれませんが、「このくらいならいいかも。多分見つからないだろう」と思ってやったことが、少しずつ大胆になっていき、【欲】がどんどん膨れ上がって行ったのかもしれません。悪の誘惑は、僅かな隙を利用してくるのではないでしょうか。しかし、彼にとって主人に告げ口されたのは、回心する良い機会だったのかもしれません。
彼は、主人から呼ばれ「お前のうわさを耳にしたが、……もうお前を管理人にしておくわけにはいかない」と言われます。彼は、「はっ」としていつの間にか【欲】に溺れていたことに気づいたのではないでしょうか。もし、彼が告げ口されず、主人から厳しいことを言われなかったら、もっと悪い方へ向かっていたかもしれません。彼は、「さて、どうしたものだろう」と考えはじめます。このことは、回心への一歩と言ってもいいのかもしれません。彼は、改めて今までの自分の事を振り返り、今後どのようにすればいいのかを識別しはじめます。
彼は「そうだ、こうしよう」と言って「……人々がわたしを自分の家に迎え入れてくれるに違いない」と何かをひらめきます。この【ひらめき】は、聖霊の働きなのかもしれません。主人であるおん父は、私たちの不幸を望むのではなく、回心してご自分の所に戻ってくることを望んでおられます。それは、放蕩に浸り身を持ち崩した息子をいつくしみの愛で迎え入れた父親の姿と同じではないでしょうか。ですから、きっと彼が【ひらめた】のは、聖霊の助けがあったからだと思うのです。
彼は、主人の負債者を一人ひとり呼び寄せて、主人への負債額を尋ね減らしていきます。みことばの中では、2人だけですがきっともっと多くの人がいたことでしょう。彼は最初の「油100バトス(約2300リットル)」と答えた負債者に「証文を取って、急いで、座って、50と書き直しなさい」と言います。彼が言った「急いで、座って」というのは、事の緊急性を表すと同時に、大切なこととしての表れではないでしょうか。彼はこのように、負債者の負債額を減らしていきました。彼が減らした【額】は本来の請求額でなく、利子や手数料として加えたものだったようです。彼は、ようやく自分の懐に入るはずの【お金】を取ることをやめ、正規の請求額に戻したものを「証文」に書き直すようにしたのでした。
主人は、彼のその対処の仕方と行動の速さに対して、「……この世の子らは自分と同時代の者に対しては、光の子らよりも抜け目がないものである」とほめています。主人は、彼が犯した罪を誉めたのではなく、彼が自分の職が奪われることを知った(回心した)時から、次の行動に出た敏速さと手段を褒めたのでした。
さらに、イエス様は「わたしはあなた方に言っておく。不正な富を利用して、友人を作りなさい。そうすれば、それがなくなったとき、彼らがあなた方を永遠の住まいに迎え入れてくれる」と言われます。イエス様は、大切なことを伝えようとするとき「わたしはあなた方に言っておく」と言われます。今回は、「不正な富を利用して友人を作りなさい」という事です。この【不正な富】というのは、別に悪い事をして得た【富】ではなく、この世で得る【富】ということで私たちが、生活の中で頂いている【富】ということのようです。
イエス様は、今私たちの目の前にあるその【富】をどのように【忠実】に使うのかということを伝えているのではないでしょうか。せっかく私たちのために準備された【富】をいい加減(不忠実)に使っていたとすれば、「誰があなた方に真の富を任されるであろうか。……誰があなた方のものをあなた方に与えるであろうか」と言われます。『放蕩息子』の父親が、「わたしのものはすべてお前のものだ」と兄に言われたように、おん父は、私たちが母の胎にいる時から与えようと【富】をご準備なさっておられたのです。
私たちは、今いちど振り返りながら、自分に与えられた【富(豊かさ)】に気づき、それを忠実に生かすことができたらいいですね。