序)十戒の第六の掟は、「姦淫してはならない」です。以前に比べて、「貞潔」について語らなくなったかもしれませんが、その意義について少し考えてみましょう。
1 貞潔の意義
*貞潔には成長の法則というものがあります。それは、不完全さや、多くの場合は罪を伴う段階を経るものです。貞潔で修徳に励む人は、数多くの自由な決断を通じて日々自己を築いていくようなものです。ですから人間は成長するにつれて道徳的善を知り、愛し、それを実現するのです」。
*自制というものは根気が要る業です。完全にこれを身に着けたなどと、決して思ってはなりません。生涯のあらゆる時期に繰り返し繰り返し努力しなければなりません。人格が形成される青少年期のような特定の時期には、特に大きな努力が必要となります。
*貞潔はきわめて個人的な努力によるものですが、文化的な努力も必要になります。「人間(ペルソナ)の進歩と社会の発展とが相互に依存している」からです。貞潔を育てるためには、人権の尊重、特に人間のいのちの倫理的・精神的面を重視する情報は教育などを受ける権利の尊重が必要です。
*貞潔は倫理徳の一つです。それはまた、神のたまもの、恵み、霊の結ぶ実でもあります。聖霊は、洗礼の水によって再生された者に、キリストの純潔を模倣することを可能にしてくださいます。
2 自分を完全に与えること
*愛はすべての徳の基礎となるものです。貞潔は愛の影響のもとに、自分を与えることを学ぶ手段となります。自制することは自分を与えることにつながっていきます。貞潔を実践する人は、隣人に対して神の忠実さと慈しみの証人となっていきます。
*貞潔の徳は友情となって開花します。貞潔はそれを修める者に、私たちをご自分の友として選び、自らを余すことなく私たちに与え、神であるご自分の身分にあやからせてくださったキリストにどのように従い、どのように見習うべきかを教えてくれます。同性あるいは異性の間で培われる友情はすべての人にとって大きな善益となり、霊的交わりに導いてくれます。
3 貞潔のさまざまな形
*貞潔は「だれでもその身分に応じて身につけなければならないものです。ある人にとって、それは神に奉献された純潔、あるいは独身生活であって、分かたれない心をもって自分をよりたやすく神に奉献する優れた方法です。他の人にとっては、結婚しているか、独身であるかによって、規定する形態をとることになります」。結婚した人々は夫婦の貞潔を実践するよう招かれており、他の人々は禁欲によって貞潔を実践するのです。
*貞潔の徳には三種あります。一つは、夫婦の、他はやもめの、第三は独身者のそれです。私たちは一方をたたえて、他を見下げたりはしません。ここに、教会の規律の豊かさがあります。
*婚約者は禁欲によって純潔を守るべきです。この試練に身を任せることにより、相互尊重の精神を学び、忠実と互いを神から受け取るという希望とを実習することになるでしょう。婚約者は夫婦愛の特別な愛情の表現を、結婚するときまで控えるべきです。そして、互いに貞潔を強固なものにすることができるよう助け合わなければなりません。

