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カトリック入門

第241回 第五の掟「殺してはならない」【動画で学ぶ】

序)十戒の第五の掟は、「殺してはならない」です。昔の公教要理では、「第五汝、殺すなかれ」と言っていました。
 「殺してはならない」(出20・13)
 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」(マタイ5・21~22)。
*教会の文書に次のように記されています。
 「人間の生命が神聖であるのは、それが初めから『神の創造のわざ』の結果であり、また、その唯一の目標である創造主と永久に特別な関係を保ち続けるからです。神のみが、生命の始めから終わりまでの主です。たとえどんな状況にあったとしても、無害な人間を意図的には甲斐する権利を主張することは、だれにもできません」。(教理省『生命のはじまりに関する教書』参照)

1 人間のいのちの尊重
*聖書は、兄のカインが弟のアベルを殺害した物語で、すでに人類史の初めから、人間には原罪の結果である怒りや欲望があったことを明らかにしています。人間は人間の敵となりました。神は弟殺しの凶悪さについて、次のように言われます。
 「なんということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口に開けて飲み込んだ土よりもなお、のろわれる」(創世記4・10~11)。
*神と人間との間の契約は、神からのいのちのたまものといのちを奪う人間の暴力との記憶で織りなされています。
*聖書は、「罪なき人、正しい人を殺してはならない」(出23・7)という説明をつけて、第五の掟で述べられている禁止の意味を明確にしています。罪のない人を故意に殺害することは、人間の尊厳や黄金律、ならびに創造主の聖性とは相いれない重大な罪です。これを定める法は普遍的に有効であり、時と所とを問わず、すべての人間、また一人ひとりの人間を束縛します。
*主は山上の説教の中で、「殺すな」(マタ5・21)という掟を確認した上で、さらに、怒りや憎しみ、復讐なども禁じておられます。さらにキリストは、打たれたら他のほおを向け、敵を愛することさえも弟子たちに求めておられます。ご自身は自分の身を守ろうともせず、ペトロには剣をさやに納めるよう命じられました。

2 正当防衛
*個人および社会の正当防衛は認められます。それは罪のない人を故意に殺害することを禁止する掟の例外としてではありません。「自己防衛の行為によって二つの結果が生じる可能性があります。一つは自分自身のいのちの保全であり、他は攻撃者の死です」。「一つの行為によって、それだけを意図していた結果と意図していなかった結果との二つが生じるような場合、その行為が禁じられることはありません」。
*自分自身に対する愛というものが、倫理の基本原理です。したがって、自分の生きる権利を他の人の攻撃から守るのは正しいことです。自分のいのちを守るために戦う者は、たとえ攻撃者をやむなく殺すことがあったとしても、殺人の罪科を負うことはありません。
*正当防衛は単に権利であるばかりではなく、他人の生命に責任を持つ者にとっては重大な義務となります。共通善を防衛するには、不正は侵犯者の有害行為を封じる必要があります。合法的な権威を持つ者には、その責任上、自分の責任下にある市民共同体を侵犯者から守るためには武力さえも行使する権利があります。
*人々の権利や市民社会の基本的な規定に反する有害な行為が広がるのを抑制する国家の務めは、共通善を守るという要求に応えるものです。合法的な公権は、違反の重さに比例した罰を科す権利と義務とを持っています。処罰の第一の目的は、違反行為によってもたらされた混乱を正すことです。違反者側がこれを喜んで受け入れるとき、償いの効果は達せられます。処罰にはまた、公共の秩序を守り市民の安全を擁護することに加えて、加療するという目的があります。処罰は、可能な限り、違反者側の矯正に役立つものでなければなりません。

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