序)十戒の第一の掟は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」です。
イエスは神に対する人間の義務を、次のことばで要約なさいました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタ22・37)。このことばは、「聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である」(申命記6・4)という荘厳な呼びかけに直接に呼応するものです。
まず先に、神が愛してくださいました。「十のことば」の最初には、唯一の神の愛について述べられています。続いて、十の掟は、人間が神にささげるように招かれている愛の応答を明らかにします。
1 第一の掟
*「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も創ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(出エジプト20・2~5)。
*「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(マタイ4・10)
2 「あなたの神である主を拝み、主に仕えなさい」
*「私は……あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した」(申5・6)。神は民にこう語りかけて、民の歴史の中で行われた全能でいつくしみ深い解放の業を想起させながら、ご自分をお知らせになります。第一のことばには第一戒が含まれています。「あなたの神、主をおそれ、主にのみ仕え……なさい。他の神々……の後に従ってはならない」(申6・13~14)。神が人間をお招きになって最初になさる要求というのは、人間が神を受け入れて礼拝することなのです。
*唯一の真の神は、まずイスラエルにご自分の栄光を現わされます。人間の召命と真理に関する啓示は、神についての啓示と結びついています。人間は、神に「かたどり、<神に>似せて」(創世記1・26)造られた者にふさわしい行動をすることによって神を表すよう召されています。
*「第一の掟には、信仰と希望と愛の掟が含まれています。私たちは神が不変、不動で、常に同一であり、忠実で、完全に正しい方であると表明しています。したがって、私たちは必ずそのことばを受け入れ、その方に全面的な信仰と信頼とを寄せなければなりません。神は全能であり、寛容であり、いつも善を行われる方であるということを分かっている者が、どうして神にすべての希望をかけずにいられましょう。私たちに注がれた無限の慈愛について観想する者が、どうして神を愛さないでいられましょう。神は聖書の中で、ご自分の掟の始めと終わりには決まって、私は主であると言われます」。
3 信仰
*第一の掟は私たちに、賢明に警戒して信仰を養い守り、信仰に反するあらゆることがらを退けることを要求します。信仰に反する罪にはさまざまな形があります。
*信仰に対する「故意の疑い」とは、神が啓示され教会が信じるようにと教えることがらを正しいことだと認めることをなおざりにしたり、拒否したりすることです。「故意ではない疑い」とは、信じるのをためらったり、信仰に対しる反論に打ち勝つ困難を感じたり、信仰の内容が不明瞭であるために不安を覚えたりすることです。
*不信仰とは、啓示された信仰を軽んじること、あるいは、それに同意するのを故意に拒絶することです。
4 希望
*神がご自分を啓示して人間をお招きになっても、人間は自らの力ではその愛に完全に答えることはできません。神を愛し、愛の掟に従って行動する能力を神が自分にお与えくださることを希望すること以外にすべはありません。希望とは、神を信頼して神の祝福と神の至福直観との期待することです。それはまた、神の愛に背き、罰を招くことへの恐れでもあります。
5 愛
神への愛に反する罪にはさまざまな形があります。無関心とは、神の愛について考えることを軽視したり拒否したりして、神の配慮を認めず、その力を否認することです。忘恩とは、神の愛を軽んじたり、神の愛を認めて、愛に対して愛をもって報いることを拒否したりすることです。不熱心とは、神の愛にこたえるのをためらったり怠ったりすることで、愛に身を任せることを嫌がる態度なども含まれます。
