多くの人々の価値観には、お金を稼ぎ、将来は悠々自適に暮らしたいという、そんな思いがあるでしょう。旧約時代の人たちにとって、富は神の恵みと考えていましたので、お金をかせぐことに彼らもまた価値観を持っていたことになります。そうしたそれまでの価値観に、今日のみことばは正反対のことを語っているように感じます。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(ルカ12・31)と。どんなに蓄財を持ったとしても、生涯を閉じれば、私たちは得た富をこの地上に残さざるを得ません。
ある年の朝日新聞の「天声人語」にこんなコラムが掲載されていました。「洗剤や薬でばい菌を消滅させる、といったCMが目立つ。しかし、と藤田紘一郎・東京医科歯科大教授(寄生虫学)。『人の体を守る常在菌も大切なのに、抗菌、除菌、殺菌と、菌はみんな悪者というイメージをCMが広めている。どろんこ遊びなどで耐性を付けさせるべきなのに<無菌状態>を目指すことで、かえってひよわになる。悪循環だ』」。ここにも価値観の相違が見えるでしょう。無駄と思われることがかえって効果的な場合さえあります。お金を持っているから平和かと思うと、それがために遺産相続でもめることもあります。
2004年7月下旬、エジプトのシナイ山に登ったことがあります。早朝からの出発だったけど、前日の夕方、宿に到着するなり、近くの子供たちがさーとやってきました。物珍しい状況もあったのでしょう。子供たちの身なりはとても貧しいのですが笑顔が美しい。お金はないかもしれないが、笑顔という大切な財産を持っている。むしろ彼らの方がなんだか平和に感じられました。
私たちは何に一番の目標や価値を置いているのでしょうか。現代人の多くが価値と認めているものが、かえって人生を間違った方向へ導いているのかもしれません。