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これってどんな種?

真のへりくだりという種 年間第22主日(ルカ14・1、7〜14)

 「へりくだる」という言葉を調べますと「『〔へる〕は、自分を低くする意』『謙遜する』意の和語的表現」(『新明解国語辞典』)とあります。この「へりくだる」というのは、周りとの人間関係でも大切になりますし、自分がどのような人なのかをよく弁えている人が自ずと現れてくる姿勢なのかもしれません。

 みことばは、イエス様がファリサイ派のある指導者の家に招かれ、他の招待客の様子をご覧になった時の場面です。みことばは「さて、ある安息日のこと、イエスは食事のために、ファリサイ派のある指導者の家に行かれた。」という節から始まっています。きょうのみことばの少し前では、「……神の国で食事の席に着く。」(ルカ13・30)とありますし、きょうのみことばの次にも、「あなた方に言っておく。招かれた者で、わたしの宴会を楽しむ者は一人もいないであろう」(ルカ14・24)と話されています。きょうのみことばは、この二つの「神の国の食事」に挟まれています。

 きょうのみことばでは、「人々はイエスの様子を窺っていた」とあります。人々は、イエス様が貧しい人や周りのユダヤ人から蔑まれている人との食事をしていることを知っていましたし、また、ファリサイ派の人たちや律法学者たちに対して厳しい批判をしていることも知っていました。人々は、イエス様がファリサイ派のある指導者の家に行かれて食事をするというのには何か起こるのではないかと、興味があったのでしょう。

 きょうのみことばでは省かれていますが、イエス様が水腫を患った人を癒やされる場面があります。イエス様は、ここで「安息日に人を癒すことは許されているのか、いないのか」と律法の専門家やファリサイ派の人々に質問をされています。彼らは、イエス様のこの質問に黙ってしまい、答えることができませんでした。イエス様は、ご自分がファリサイ派の指導者の家で食事をする、という機会の中で改めて、彼らの偽善的な態度を指摘されたのでした。

 イエス様は、奇跡が行われたにもかかわらず、招待客が上席を選んでいるのをご覧になられ、違和感を覚えられたのでしょう。この食事会は、ファリサイ派の指導者が催したものですから、招待客もファリサイ派の人や律法学者が多かったはずです。彼らは、安息日に水腫を患ったイエス様の奇跡よりも、自分がどれだけ偉いかを誇示するために、【上席】を選ぶことを大切に思っていたのです。イエス様は、これらの様子をご覧になられてどのようなお気持ちになられたのでしょうか。もしかしたら、怒りや嘆きを覚えられたかもしれません。

 イエス様は、彼らの様子をご覧になられて「結婚披露宴に招かれた時には、上席に着いてはならない。あなたより身分の高い人が招かれているかもしれない。」と言われ喩えを話されます。この喩えを聞いた人々は、自分が上席を選んでいるということに気づいたでしょうか。彼らにとって自分が人より身分が高い、という事を大事にしていましたし、それが当たり前のことだったのでしょう。イエス様は、彼らが当たり前のように【上席】を選んでいることを指摘されたのです。

 イエス様は、「招かれた時には、むしろ末席に座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『友よ、もっと上席に進んでください』と言う。あなたは同席しているすべての人の前で、面目を施すことになる。」と言われます。私たちは、このイエス様の言葉を聞くと、「それなら、最初から末席に座れば、上座をすすめられる」と思って末席を選ぶかもしれません。しかし、イエス様が喩えで言われている「結婚披露宴」というのは、【天の国の宴】を意味していますので、おん父の前では、偽りの謙遜は通用しないのです。イエス様は、「誰でも自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる」と言われます。

 続いて、イエス様は、ご自分を招いた人に対して「昼食や夕食の会を催す時には、友人、兄弟、親戚、近所の金持ちを呼んではならない。その人たちもあなたを招いて、お返しをするかもしれない。……その人たちはあなたに返礼できないから、正しい者たちが復活する時、あなたは報いを受けることになる」と言われます。私たちは、相手に対して「これだけ恩を与えたので、何か返ってくるだろう」と最初から返礼を期待するという思いがよぎる事があるのではないでしょうか。イエス様は、こちらの「催し」も【天の国の宴】のことを言われています。イエス様は、私たちが何かを行うとき、見返りを求めずむしろ【施し】を大切にすることを勧めているのです。

 きょうのみことばでイエス様は、【宴の席】のことを話されていますが、日常の生活の中の【私の立ち位置】について話されているのではないでしょうか。私たちは、日常の生活の中で「もし、イエス様だったらどのようになさるのだろう。」と思うとき、自ずと「へりくだる姿勢」となることでしょう。私たちは、自分たちの力ではなく、三位一体の神様の力と恵みを願って【真のへりくだり】を頂けたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

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