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これってどんな種?

祈りなさいという種 待降節第1主日(ルカ21・25〜28、34〜36)

 いつもあらかじめ準備をしておくと、いざという時に結果がどうなっても心配がないという意味で「備えあれば憂いなし」ということわざがあります。もちろん、この言葉は、災害に対してもそうですけれど、そうでなくても日常の生活でも、霊的生活でも言えることではないでしょうか。

 きょうのみことばは、イエス様が「ご自分の来臨の徴」と、同じく「来臨する時の心構え」についての場面です。イエス様のこのお話は、ご自分が受難へと向かう前に話されています。イエス様は、前々から弟子たちに話していたどのように亡くなり復活するか、という事が実現するにあたって、ご自分が再び地上に現れる【時】について話されます。

 きょうのみことばに入る前に、イエス様は、「エルサレムの神殿の崩壊の予告」や「信仰を持ってご自分についてきた人々の迫害の予告」そして「エルサレムの崩壊の予告」をされています。弟子たちは、イエス様のこのような話を聞いてどのように思ったことでしょう。いつになくイエス様のお話がいつもと違うこと、また、初めてイエス様の「受難の予告」を聞いた時のように緊張したのではないでしょうか。弟子たちは、これからどのようなことが自分たちの前に起こるのか不安な気持ちになったのではないでしょうか。

 きょうのみことばは、そのような弟子たちの不安な気持ちに追い討ちをかけるような「また、太陽と月、そして星に徴が現れ、地上では、海と波のとどろきに、国々の民は慌てふためき、不安に陥る。」という節から始まっています。弟子たちは、戦争や自分たちへの迫害などが起こっただけではなく、天変地異も起こるというイエス様の話にさらに不安と恐怖を感じたのではないでしょうか。

 今の世界の中でも戦争が起こり、さまざまな自然災害が起こっています。弱い立場のお年寄りや子どもたちが亡くなったり、苦しみ犠牲になったりしています。イエス様の時代では、今のようにインターネットやテレビなどで世界の情報を知ることができませんし、人々はもっと不安な気持ちになったことでしょう。

 さらにイエス様は、「世界を襲うことへの恐れと予感に、人々は気を失う。天のもろもろの力が揺り動かされるからである。」といわれます。このようなことが起こると、自分たちの力でどうすることもできません。まさに、「気を失う人」や「偽預言者」が現れて来るのかもしれません。

 イエス様は、「その時、人々は人の子が大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来るのを見る」といわれます。イエス様は、戦争や自然災害、また、太陽や星の徴などが起こって人々が不安と恐怖に陥り、気を失う人も現れるようなその時に、ご自分が雲に乗って再臨されると言われます。私たちは、どのような気持ちでこのことを読み深めたらいいのでしょうか。私たちの生活を振り返ってみますと、順風満帆ということばかりではありません。自然災害で被災することもあります、思わぬきっかけで今の生活が壊れることもあるでしょう。

 イエス様は、そのような時に「雲に乗って来る」といわれます。聖書の中で【雲】というのは、「神がおられる所」「神聖な所」のようです。私たちの生活の中で「苦しい状況」に陥った時、そのような時に私たちは、イエス様の恵みに触れる喜びをいただけるのではないでしょうか。私たちは、困難な状況に落ちいった時にイエス様との日々の【出会い】、【気づき】ということが、イエス様の【来臨】と言ってもいいでしょう。洗礼の恵みをいただいている私たちは、イエス様への信仰によって多くの恵みを頂き、困難を乗り越えていくことができるのです。

 イエス様は、「あなた方の心が放縦や泥酔、また世の煩いにふさぎ込むことがないよう、……注意しなさい。」といわれます。イエス様は、私たちの弱さを良くご存知なので、私たちが困難、自分の力ではどうすることもできない場面に陥った時、自暴自棄になったりお酒の力で紛らわしたり、また、「どうせ何をやっても同じ」という傾きに陥らないように気をつけなさい、といわれているのではないでしょうか。

 イエス様は、私たちが生活の中で受けるかもしれないさまざまな困難に対して、「いつも目を覚ましていなさい。……人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい」といわれます。イエス様は、「注意しなさい」「目を覚ましていなさい」そして「祈りなさい」といわれます。私たちは、どのような困難な場面であっても、自暴自棄なったり、ふさぎ込んだりせずに、【希望】を持って歩むようにいわれているのではないでしょうか。

 イエス様の「人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい」という言葉は、私たちに【勇気】と【希望】の【光】を与えてくださいます。洗礼の恵みをいただいている私たちは、【祈る】ことの大切さを知っています。私たちは、日々の生活の中で不意に陥る不安や困難な状況にあっても三位一体の神様に【祈る】信仰を培っていくことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 整えるという種 待降節第2主日(ルカ3・1〜6)

  2. 祈りなさいという種 待降節第1主日(ルカ21・25〜28、34〜36)

  3. 真理を求め深めるという種 王であるキリスト(ヨハネ18・33b〜37)

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