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みことばの響き

平和と分裂 年間第20主日(ルカ12・49~53)

 イエスのことばには「平和をもたらす人は幸い」(マタイ5章)や「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20章)と、平和について語る箇所が数多く出てきます。ところが今日の箇所に限って、「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。むしろ分裂だ」と語ります。私たちの思いとは正反対です。イエスはこのことばで何を訴えたいのでしょうか。

 キリシタン時代に殉教者が数多く誕生しましたが、その要因の一つには密告する人がいたことにもよります。密告者が出る中で、いったい誰を信じたらよいのかと思った信者たちもいたことでしょう。それでも勇敢に信仰を生きた人たちも数多くいます。その顕著な例として、原主水(はらもんど)を挙げることができます。

 原主水は臼井城(現在の千葉県)に生まれ、やがて父を失います。主水は小姓として徳川家康に仕えるようになり、勇敢な武将として名をはせ、家康の走衆となります。1600年に大阪でモレホン神父から洗礼を受け、江戸の鳥越で宣教師たちに協力しました。やがて家康とともに、静岡の駿府へ移ります。1612年、家康がキリシタン禁令を発し、キリシタンであった主水は行方をくらまします。しかし、2年後に捕縛され、手足の筋を切られ、額には十字架の焼印。家康に仕えていた名誉ある職を失い、傷を負い、すべてを失っていきます。しかし、十字架上のキリストは彼に生きる希望を与えてくれました。その後、江戸の鳥越でハンセン病に苦しむ人の世話をし、社会から見捨てられた人のために献身的に働きます。そうした中、原家の元家臣が銀300枚の賞金に目がくらみ、主水の隠れ家を密告します。主水はそれを素直に受け止め、やがて札の辻で仲間たちとともに殉教していきます。

 密告により、平和よりも分裂を体験した原主水ですが、主と共に歩む道を選びました。彼の生涯をみると、平和と分裂の関わりがよく見えてくるのではないでしょうか。

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