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みことばの響き

二つの視点 主の昇天(ルカ24・46~53)

 15年前ですが、当時の総理大臣であった小泉首相が北朝鮮を訪問しました。その記事の報道を見るととても興味深いものです。「今まで首相がやれなかったことを成し遂げた」という肯定的な記事があるかと思えば、「北朝鮮へ行ったけど、話し合ったのはわずか1時間33分」「何の進展もなく、支援としての米だけは取られた」という否定的な記事。一つの内容に両極端の記事です。

 今から40年前ですが、ポーランドのワレサ大統領が来日しました。その時の新聞報道は一斉に「ワレサ大統領の来日を歓迎」といった肯定的な記事が多数掲載されました。ところが、共産圏の社会で生きたワレサ大統領はそのことを喜ぶどころか、とても不満に感じたそうです。報道が画一化しているので、「一紙くらいは、反対の記事がないのか」と。視点の違いは大事なことです。

 さて「ルカによる福音書」と「使徒言行録」1・6~11に主の昇天の記事が登場します。どちらも同じ人が書いたと言われますが、よく読んでみると内容が若干違っています。

 使徒言行録の場合、「イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた」(使徒1・10)というように、イエスとの別れの寂しさが伝わってきます。

 一方、「ルカによる福音書」のほうは、「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神
殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(ルカ24・51~53)と。この場面では喜びと賛美に満ちた雰囲気が漂っています。

 二つの「主の昇天」の記事ですが、別れの悲しみとともに、喜びの視点があります。違いからくる豊かなメッセージを「主の昇天」から感じてみましょう。

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