「思い込む」という言葉がありますが、この意味は「①〔事実・真実ではないことを、予断や偏見で〕堅く信じ込んで疑わなくなる。」「②深く心に思って、その思い通りにする」(『新明解国語辞典』)とあります。この「思い込む(み)」は、誰でも何かしらあるかもしれませんが、そこから起こる失敗をなくすために、私たち一人ひとりの心の中を振り返る機会を持つようにしたいものですね。
きょうのみことばは、イエス様が「律法」について話される場面です。きょうのみことばの中には、「あなた方も聞いている通り、……しかし、わたしはあなた方に言っておく……」という言葉が何度も繰り返されます。みことばの中でイエス様が【あなた方に言っておく】と言われる時には、「これからいうことは大切なことだからしっかり聞いてください」という時に使われる言葉です。
イエス様は、「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ。」と言われます。イエス様が言われる【律法】と【預言者】というのは、聖書全体という意味で、ここでは、旧約聖書となります。人々は、イエス様の教えが律法学者やファリサイ派の人々の教えと違うために、「律法や預言者たち」のことを廃止して新しい教えを伝える者と思っていたようです。ですからイエス様は、最初に「廃止するためではなく、成就するために来たのだ」と言われたのでしょう。
イエス様は、「あなた方に言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消え失せることがなく、ことごとく実現するであろう。だから、最も小さい掟の一つでも破り……」と言われます。イエス様は、聖書の言葉、教えは、どれも大切なものでそれを自分たちの解釈や都合で勝手に変えてはいけないと言われているようです。私たちは、時々「このくらいはいい、許容範囲です」と勝手に解釈して何かを行うことがあります。そして、それが習慣化してくると大きなミスとなってしまいます。イエス様は、そのようなことがならないように指摘しているのではないでしょうか。
イエス様は、「もし、あなた方の義が、律法学者やファリサイ派の人々の義に勝るものでなければ、あなた方は決して天の国に入ることはできない」と厳しく注意されます。イエス様が言われる【義】とは、私たちがいう「義」という社会的、道徳的な【正義】という意味ではなく、おん父のみ旨にかなった生き方であり、私たちと三位一体の神との関係性での【義】ということのようです。ですから、イエス様が言われる律法学者やファリサイ派の人々は、おん父のみ旨ではなく、【自分たち】の都合に合わせていたのではないでしょうか。
イエス様は、「あなた方も聞いているとおり、昔の人々は、『殺してはならない。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられていた。しかし、わたしはあなた方に言っておく。兄弟に対して怒る者はみな裁きを受ける。……火の地獄に落とされる」と言われます。この「殺してはならない」という教えは、モーセの十戒の6番目にあります。ユダヤ人たちは、この戒めを小さい頃から何度も聞いていましたし教わったことでしょう。ですから、自分は「人を殺してはないから裁かれない、罪を犯していない。だから自分は正しく生きている」と思ったことでしょう。
しかし、イエス様は、「兄弟に対して怒る者」「ばか者」「愚か者」という人はすべて裁かれると言われます。イエス様は、ただ単に人を傷つけ殺すということだけではなく、相手に対してこれらの罵声を浴びせることだけでも、相手を傷つけ、殺したことになるのですよ、と言われているのです。ですから、その後に「祭壇に供え物をささげるとき、兄弟があなたに恨みを抱いているのを思い出したなら、……供え物をささげなさい」と言われます。イエス様は、神様へのささげものよりも、兄弟に対しての愛、和解が大切であると言われます。ここで大切なことは、「私ではなく、相手が私に恨みを」ということですから、自分の心を丁寧に振り返る時が必要になってくるのです。
イエス様は、「あなた方も聞いているとおり、『姦淫してはならない』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、心の中ですでに姦淫の罪を犯したことになる。……それを切り取って、投げなさい。全身が地獄に落ちるよりは、体の一部を失うほうがましである」と言われます。ここでも人々は「私は【姦淫】の罪など犯していない」と思ったことでしょう。しかし、イエス様は、「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、心の中ですでに姦淫の罪を犯したことになる。」と言われます。ここで注意することは、【心の中で】ということです。
私たちは、【外面的】な罪を犯さなければいい、と思い込んでしまいます。しかし、イエス様は、【内面的】な【心の中】の方が最も大切なのですよ、と教えられています。イエス様は、私たちの心の奥にある罪の根まで丁寧に見つめることを気づかせ、そこから起きてくる罪を指摘されているのでしょう。私たちの力では、それらの【罪の根】を「切り捨て、投げ捨て」ることは不可能ですが、イエス様のアガペの愛に信頼して天の国に入ることができたらいいですね。

