私たちの歩みを振り返ったときに、「順風満帆」という日々よりもその逆の方が多いのではないでしょうか。結婚式の時に互いが「順境にあっても逆境にあっても、病気のときも健康のときも、(夫・妻)として生涯、愛と忠実を尽くすことを誓います」という誓いの言葉を唱えます。私たちは、「順境」と「逆境」を繰り返しながら歩んでいます。今のわたしはどちらなのか、振り返る時間を持つのもいいのかもしれませんね。
きょうのみことばは、イエス様が湖の上を歩かれる場面です。イエス様は洗礼者ヨハネが、ヘロデ王によって首を刎ねられたということを聞いて「人里離れた所」に行かれるのですが、そこで大勢の群衆と出会います。イエス様は、彼らを憐れに思って病人を癒すうちに、夕暮れ近くになり彼らの空腹を「5つのパンと2匹の魚」で満たしました(マタイ14・13〜21参照)。そしてきょうのみことばとなります。
きょうのみことばは、「それから、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に出発させる一方、群衆を解散させられた。」と始まっています。イエス様は、まず、弟子たちを【強いて】舟に乗せられます。それは、あえてお一人になられたかったのです。みことばには、「先に」とありますように、後からご自分も弟子たちの所に合流されるということを前提としています。
イエス様は、群衆を解散させられた後、祈るためにひとり山にお登りになられます。イエス様は、【祈るために】人里離れた所に行かれたのですが、ご自分の用事をされる前に群衆を憐れに思われて彼らを癒されたのです。イエス様は、いつもご自分のことよりも人々のために尽くされます。このことは、イエス様の「アガペの愛」と言っていいでしょう。私たちは、相手のことより自分のことを優先する傾向があります。例えば、自分の仕事であったり、楽しみであったり、あるいはみことばのように祈り、ミサであったりと、しかし、イエス様は、おん父との【祈りの時間】があっても人々の癒しを優先させられるお方なのです。
イエス様は、ようやくおひとりになられると【山】にお登りになられ、ご自分がこれから受けなければならない「受難と死、そして復活」のことを思われおん父とご一緒に祈られたのでしょう。みことばには「夕方になっても、イエスはひとりそこにおられた」とありますから、イエス様は、祈りの時間をゆっくり取られたのです。私たちは、日常の生活の中でイエス様のようにおん父への祈りの時間を取ることができたらいいですね。きっと、おん父はその祈りを快くお受けになられることでしょう。
さて、弟子たちを乗せた舟は、向かい風に悩まされて向こう岸に進むことができません。聖書の中で「水」は敵対するもの、苦しめるものとして表されています。詩編の中には、「わたしは水の深みにはまり、渦に巻き込まれました。」(詩編69・3)とあります。その後には「主よ、あなたに祈ります。この恵みの時に、あなたの大いなる慈しみをもって、わたしに答えてください。あなたの確かな救いをもって、わたしを助けてください。泥沼に沈まぬように。わたしを憎む者から、また水の深みからわたしを救い出してください」(詩編69・14〜15)とあります。みことばの中で【舟】は、教会にたとえられますが、湖(水)や向かい風のような困難にあったとしても前に進まなければいけないのです。この詩編の中にありますように、この困難な時であってもそれは「恵みの時」なのです。このみことばは、私たちに勇気と希望を与えるのではないでしょうか。
夜明けごろイエス様は、湖の上を歩いて弟子たちのもとへ行かれます。これは、文字通りイエス様が「湖の上を歩かれた」ということも言えますが、人々に対する「【敵】を制する」ことを意味しているのではないでしょうか。弟子たちは、湖の上を歩いるイエス様を見て、「幽霊だ」と言って怯え、恐ろしさのあまり叫びます。私たちは、自分たちの理解を超えたものに直面した時には、恐れを感じてしまいます。弟子たちは、湖上を歩いているのがイエス様だと思えなかったのです。それは、「信仰の薄い者よ」と言われたように、彼らが信仰の目を持ってイエス様を見ることができなかったからなのです。
イエス様は、彼らに「安心しなさい。わたしである。恐れることはない」と言われます。弟子たちは、イエス様の【声】を聞いてようやく安心します。ペトロは、「……水の上のあなたのもとへ行かせてください」と言います。ペトロは、イエス様が「来なさい」と言われたのを聞いて舟を降りて向かいますが、強い風に気づき恐れて沈みかけます。ペトロは、【イエス様の方へ向かいますが】、風の方へ意識がいったのでしょう。私たちは、ペトロのようにイエス様以外へと意識が行くと溺れてしまうのです。私たちは、ペトロが沈みかけたことに気づいた時に「主よ、助けてください」と叫んだように、自分がイエス様から離れていることに【気づき】、「主よ、助けてください」と叫ぶ勇気を祈りたいものですね。イエス様は、アガペの愛を持って、【すぐに手を伸ばして】助けてくださいます。私たちは、このことに信頼して歩むことができたらいいですね。
