(序)聖書のことば
「隣人に関して偽証してはならない」(出20・16)
「昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている」(マタイ5・33)
*第八の掟は他人とのかかわりの中で真実を歪曲することを禁じています。この道徳的掟は、真理でありまた真理を望まれる神の証人となる聖なる民の証明に由来するのです。ことばもしくは行いによって真理にもとることは、道徳的正しさを守ることを拒否することです。これは神への完全な不忠実であり、その意味で、契約を根底から覆すものです。
1 真理のうちに生きる
*旧約聖書は、神はすべての真理の本源であると証言しています。神のことばは真理であり、その律法も真理です。「あなたへの信仰は代々に続きます」(詩編119・90)という信仰告白もなされています。神は「真実なかた」(ローマ3・4)であられるので、神の民に属する者は真理のうちに生きるために召されているのです。
*神の真理は、イエス・キリストのうちに余すところなく表されました。恵みと真理とに満ちておられるイエス・キリストは、「世の光」(ヨハネ8・12)であり、真理です。キリストを信じる者は、だれも暗闇の中に留まることはありません。イエスの弟子はそのことばに留まり、自由にする真理を知るようになり、その真理によって聖なる者とされます。イエスに従うこと、それは、イエスの名によって御父から遣わされ、弟子たちを導いて「真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16・13)真理の霊に生かされることです。イエスは真理を無条件に愛することを弟子たちに教えるために、「あなたがたは、『しかり、しかり』、『否、否』といいなさい」(マタイ5・37)と諭しておられます。
*人間は本来、真理に向かって歩むように造られています。真理を敬い、あかしする義務があります。「すべての人間は、人格を備え、…自分の尊厳さのゆえに、本性的な真理、なかでも、宗教的真理を探究する衝動に駆られ、また道徳的に義務を負わされています。そして、いったん真理をとらえた上は、これを認め、真理の要求に従って自分の全生活を規正する必要があります」。
*人間の行いやことばの正しさという意味での真理は、真実、誠実、あるいは正直ということばでいい表されています。真理あるいは真実とは、行動するときには真理を現わし、語るときには真実を口にし、陰ひなたや、見せかけ、偽善などを行わない強さのことです。
*キリストの弟子は、「真理のうちに生きること」を受け入れます。すなわち、キリストに倣って飾り気のない生活を送り、キリストの真理に留まります。「わたしたちが、神との交わりを持っているといいながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません」(一ヨハ1・6)
2 「真理についてあかしをする」
*キリストはピラトの前で、ご自分は真理についてあかしをするためにこの世に来られたのだと宣言なさいます。キリスト者は「主をあかしすること《を》恥じては」(二テモ1・8)なりません。キリスト者は信仰のあかしが必要なときには、裁判官たちを前にした聖パウロに倣い、明白に信仰を宣言すべきです。「神に対しても人に対しても、責められることのない良心をたえず保つ」(使徒24・16)必要があります。
*キリスト者には教会生活に参与する義務がありますが、そのことによってキリスト者は、福音および福音に基づく責務についての証人として行動するように促されます。そのあかしとは、ことばと行いとによって信仰を伝達することです。あかしとは、真理をあきらかにしたり知らせたりする正義のわざのことです。
*殉教とは、信仰の真理を現わすための最高のあかしであり、死ぬことさえも惜しまないあかしを意味します。殉教者は死んで復活されたキリストと愛によって結ばれ、そのキリストをあかしします。勇気ある行為をもって死を耐え忍ぶのです。「獣の餌食にならせてください。獣を通してこそ、わたしは神に達することができるのです」。
