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月刊澤田神父

「月刊 澤田神父」2021年9月号(#4 泣くのに時があり、笑うのに時がある)

教皇フランシスコの訪日

 今から約2年前、2021年11月に教皇フランシスコは日本を司牧訪問してくださいました。わたしは、日本の司教団が教皇に訪日をお願いしたとき、それが実現するとは正直、思っていませんでした。教皇フランシスコは世界的に「人気」がありましたし、キリスト教国や日本と同じ宣教国でも教皇訪日によって社会・政治状況が劇的に変わると予想される国はたくさんあり、また教皇は高齢であったからです。誤解がないように述べておきたいと思いますが、日本司教団をはじめ、教皇フランシスコの訪日を願った日本人たちの思いはとても強いものであったと思いますが、世界ではそれ以上に教皇フランシスコの訪問を願い求めている国々がありました。その中にあって、教皇フランシスコは日本を訪れてくださいました。よほどの思いがあったのだと思います。

 わたしたち、聖パウロ修道会はその中にあって教皇の思いに答えて何ができるかを模索しました。大したことはできませんでしたが、無い知恵を絞っていろいろと考えました。その一つが、四ツ谷駅前のサンパウロ・ビルディングに教皇訪日とそのメッセージを知らせる大きなパネルを掲げるということでした。教皇訪日の直前から教皇フランシスコの写真に言葉を添えてパネルを掲げました。四ツ谷駅前を通るキリスト者以外の人々がこのパネルをとおして何かを感じ、知ろうとしてくれることを期待したのです。

 それがどれだけの効果を生んだかは分かりません。しかし、わたしたちの予想以上に、一般のメディアが教皇フランシスコの動向に目を向け、報道をしたおとは事実です。人々の意識、動向は分かりませんが、それとあいまって四ツ谷駅前のサンパウロにおけるパネルもそれなりの宣教効果は生んだのだと思います。

 その後、わたしたちはこのパネルを教皇フランシスコ訪日への感謝のパネルに代えました。教皇への感謝の思いとともに、訪日のテーマであった「すべてのいのちを守るため」を実践していく、わたしたちの新たな決意をパネルに記しました。

 教皇フランシスコ訪日の時に、その後のコロナ・ウイルスのパンデミックを予想していた人はいないでしょう。教皇フランシスコでさえ、このことを予知することはできなかったでしょう。

 しかし、だかからこそ、あの教皇フランシスコ訪日のテーマである、「すべてのいのちを守るため」は、預言的だったと思うのです。人として予測できないテーマを、神の照らしのもとに識別し、この時代に語りかける。これこそ教皇の使命だと言えるでしょう。しかも、このテーマは、教皇フランシスコがずっと強調し続けていたテーマだったのですから。

 実際、教皇フランシスコは訪日より数年前に回勅『ラウダート・シ』を発表し、9月1日を「被造物を大切にするための世界祈願日」と定め(日本では9月の第一日曜日)、9月1日~10月4日までを「被造物を大切にするための特別な季節」と定めました。日本の教会は、教皇訪日を受けて、この9月1日~10月4日までを「すべてのいのちを大切にする月間」とすることを定めました。

「天の下のすべてのものには、その時期があり、すべての営みにはその時がある」(コヘレト3・1)

 わたしたちパウロ家族、すなわち同じ創立者によって創立された聖パウロ修道会、4つの女子修道会、4つの在俗的奉献生活の会、そして協力者会の10の会からなるパウロ家族は、昨年2020年11月26日から今年の2021年11月26日まで、パウロ家族の「みことばの年」を祝っています。これは、教皇フランシスコが「いつくしみの特別聖年」の後に使徒的書簡『あわれみある方とあわれな女』の中で訴えたこと、それに対する多くの人々の要望を受けて、昨年2020年から年間第3主日を「神のことばの主日」と定めたことを受けたものです。わたしたちパウロ家族は、神のみことばによって生かされており、コミュニケーションの世界で神のみことばを伝えることを使命とし、さらには今年2021年11月26日に創立者の帰天50周年を祝います。これらのことを踏まえて、四ツ谷駅前のサンパウロ・ビルディングのパネルを今年2021年の春に一新しました。教皇フランシスコの写真を使いながら、旧約聖書のことば、「コヘレト書」のことばを掲げています。

「天の下のすべてのものには、その時期があり、すべての営みにはその時がある」(コヘレト3・1)

「泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」(3・4)

 教皇フランシスコの訪日メッセージを受け止め、コロナ・ウイルス禍の中にあって、考えたうえで取り上げた聖書のみことば、神のみことばです。

 今は本当につらい時期です。でも、それがすべてではありません。必ず、「笑う」ことができる時が来ます。

 それだけではありません。この「泣く」時にも必ず意味があるはずなのです。

 長いですが、この箇所をすべて読みたいと思います。

「天の下のすべてのものには、その時期があり、すべての営みにはその時がある。生まれるのには時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、癒やすのに時がある。壊すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。石を投げるのに時があり、拾うのに時がある。抱くのに時があり、抱くのをやめるのに時がある。探すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、捨てるのに時がある。引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙るのに時があり、語るのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦争の時があり、和解の時がある」(コヘレト3・1-8)

 いろいろな状況に当てはめることができる言葉でしょう。

 コロナ禍にあって、大変な時期です。しかし、必ず「笑う」ことのできる時、「希望」の時がきますし、この大変な時期にも意味があるはずです。

 わたしたちパウロ家族とともに、この「みことば」を分かち合ってください。そして、希望と神の救いの計画への信頼を感じ取り、励まし合ってください。

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